桓 仁(かんじん/ Huan-ren / フアンレン)

桓仁フォト

概要

高句麗を建国し最初に都を定めた地。
その都が置かれていたのが卒本城、現在の五女山山城。
桓仁は正式には桓仁満族自治県で遼寧省本渓市に属す。(中国は県の上が市)
人口は約30万人、
主要な民族は漢族、満族、朝鮮族、回族など。

桓仁満族自治県(通称:桓仁県)は9鎮、4郷から成っている。

鎮:
桓仁鎮、二棚甸子鎮、五里甸子鎮、八里甸子鎮、沙尖子鎮、木盂子鎮、普楽堡鎮(普楽堡朝鮮族鎮)、華来鎮、古城鎮

郷:
雅河朝鮮族郷、北甸子郷、向陽郷、黒溝郷

五女山山城
五女山城は、桓仁県の県城(県政府の所在地)から東北に8.5km行った所にある。
山の標高は、約800mで、周りは切り立った岩壁である。

山城を囲む、全長4754mの城壁は、その88%の4189mが、山の尾根や絶壁を利用して作られている。

城の東、南、西の3方向には、それぞれ城門が建てられていた。
今までの発掘によって、山城の3カ所で、宮殿、倉庫、祭祀場所の大規模な建築遺跡が見つかっている。

城の中心部には、長さ12m、幅5m、深さ1.1~2mの貯水池があり、生活用水のために、山の水が蓄えられていた。

また多くの半地穴式兵営や、歩哨所などの軍事施設の遺跡も発掘されている。
山上部分には、望台、貯水池、大型建築跡、兵営式建築群跡などがあり、その他、新石器後期、春秋戦国、前漢、後漢、魏晋、遼金など五期にわたる文化遺跡があり、陶器、石器、磁器、銅器、鉄など1000点あまりの文物が発見された。

五女山城は、中国北方民族の伝統的な山城建築の要素を受け継ぎながら、使う材料や、配置、築城には、高句麗独特の先進的な技術が用いられている。

石を楔形に加工し、大きい端を外側、小さい端を内側にして積み上げ、内側からはさらに細長い石で何重にも押さえ、外への張力を減らして崩れないようにしている。

城壁の上には、防御の機能を強めるために「女墻」と呼ばれる、凹凸の形をした壁が作られている。この建築形式は、東北アジア諸国や各民族の山城建築の発展に大きな影響を与え、後に日本へも伝わった。