概要
(バイエルン州)
人口:約13万人
-ミュンヘンの北約150km、ドナウ河とレーゲン川の合流地点に広がる、古い修道院のある町。
-市内には2本のドナウ川が流れており、いくつかの川中島ができている。
そこを南北に渡す長さ336mの中世の石橋がかかっている。
-ヨーロッパでも保存状態がいい中世都市の一つで、中心部だけでも1500のさまざまな年代の歴史的な指定建造物がある。
-かつて、ローマの植民地であり、ドナウ川の要衝としての役割を果たしてきた街。
ローマ時代の、カストラ・レギーナと呼ばれた砦で、ドナウ河沿いの北部前線を守る町だった。
約1000年前のローマ時代の城壁や、迷路のように入り組んだ狭い通りが、当時の町の跡を今に伝えている。
-11世紀にバイエルン初の公国となり、町は全盛期を迎え、南ドイツで最も栄えた貿易の中心地だった。
13世紀から14世紀にかけて裕福な商人たちがイタリアの町を模して競うように防御を固めた城館を建てた。これら風変わりな造りの建物や塔が、今も30軒ほど残っている。
-1809年の戦役の際、ナポレオンは城壁のそばで負傷した。
クラウテラーマルクトKrauterermarktとレジデンツ通りResidenzstrasseの角の家に、そのことを記した銘板がはめ込まれている。
-町の中心部には、あらゆる様式の教会その他宗教関係の建物が残されている。
-町の一番南端に2万人の学生を抱える大学があり、市内には学生の姿が目立つ。
-ドイツでは珍しく、この町は戦災をほとんど受けていない。
この町は市街地保存運動のバイオニア的存在で、古い建物の改修を行ったドイツ国内でも最初の町で、中世の美しい家並みや歴史的教会の多くが残されている。
-歩行者専用区域を設置して車の乗り入れを禁止している。
-湖の価値を訪れる多くの観光客は、遊覧船に乗ってヴァルハラ神殿 Walhalla の観光を楽しむ。
-オスカー・シンドラーは長年、レーゲンスブルクに住んでおり、映画「シンドラーのリスト」でも取り上げられた、彼の功績を称える飾り板がある。

アクセス
鉄道
ミュンヘン中央駅からレーゲンスブルグ行きまたはニュルンベルグ方面行きで約1時間30分。ほぼ1時間間隔。
フランクフルト空港駅からフランクフルト中央駅経由で特急ICEで約3時間20分。2時間間隔。

旧市街
-町は、東へ向かって流れる2本のドナウ川と川中島を挟んで南北に分かれている。
南側が旧市街になる。
-歴史的地区の中心地は旧穀物広場Kornmarktで、中央駅Hauptbahnhofは旧市街の南端にある。

見どころ:
石橋 Steinerne Brucke :
2つの分かれて流れるドナウ河の流れを一気に跨ぐ長さ336mの橋。
かつてはドナウ川を渡るための唯一の関所だった。
1135年から1146年にかけて建造されたこの橋は16のアーチに支えられ、長さが310mある。橋の中央部から旧市街の美しい眺望が得られる。
かつては車両の通行用に使われていたが、現在は橋を保存するため、車両の通行が禁止されている。
大聖堂の尖塔が大きな家の屋根を圧してそびえている。前景に橋の塔Bruckenturm(14世紀)が建ち、その左に17世紀初頭の塩蔵Salzstadelの大きな屋根が見える。
中世にはレーゲンスブルクの主な収入源だった塩の貯蔵庫だ。
河岸には塩蔵のすぐそばにドイツ最古といわれる老舗のソーセージ屋「ヒストーリツシェ・ヴルストキュツヒェHistorische Wurstkuche」がある。
ここのソーセージは、石橋の建築中にお腹をすかせた石工たちに供されたもの。
石橋の南の塔にあるプリュツクトゥルム博物館Bruckturm-Museumは、橋の歴史を紹介する展示がある。町を一望しようと、多くの人々が訪れる。

ポルタ・プレトーリア Porta Praetoria:
町の北側のローマ時代のアーチと角の塔の城門。
-ニーダーミュンスター Niedermunster :
2本の塔を持つロマネスク様式のバジリカ会堂。
かっては女子修道院の付属教会だった。
17世紀から18世紀にかけて、内部は完全にバロック化されたボールトの美しいスタッコ装飾。
北の側廊には聖エーアハルトSt.Erhardの墓があり、その上に天蓋つきの祭壇が設けられている(1330年頃)。

聖ベトロ大聖堂 Dom St.Peter
バイエルンで最も重要なゴシック様式の大聖堂で、13世紀に建てられたもので、塔は、19世紀に取り付けられている。
ここの見どころは13〜14世紀に作られた、ステンドガラスの窓で、南側の翼廊の聖歌隊席の上にある。
日曜朝の9:00からのミサに参加すると、ドームシュバッツェンDomspatzen(大聖堂のすずめたち)と呼ばれるレーゲンスブルク少年合唱団の歌が聴ける。
付属のドームシャッツ博物館Domschatzmuseumがある。

聖エメラム教会 Basilika St.Emmeram:
8世紀に創設されたベネディクト会修道院の付属教会であった。
聖エメラム広場に面してゴシック様式の正門があり、そこをくぐると修道院の敷地に入り、広大なロマネスク様式のポーチ(12世紀)に通じている。
二重の門をくぐって教会に入る。
入口の彫刻(キリスト、聖エメラム、デイオニュソス)はドイツ最古の彫刻作品に数えられる(11世紀)。
アザム兄弟の手で仰々しいバロック様式に変えられて以来、もともとのロマネスク様式はほとんど見分けられなくなっている。
巨大なフレスコの天井画と、高窓からさしこむ光を受けて際立つ。
地下室には聖エメラムや聖ヴォルフガングや聖ラムヴオルトの遺骸が安置されている。
女王ヘマHemmaの墓石には深い悲しみの表情のヘマの顔が刻まれている。

-聖ヤコブ・スコットランド教会Schottenkirche St.Jakob
アイルランドの修道士たちを迎え入れるため、12世紀に建造。
数々のレリーフや彫刻で装飾されている。
北側にあるドイツ・ロマネスク様式の正門Hauptportalの彫像装飾は特に有名。

旧礼拝堂 Alte Kapelle :
もともとカロリング朝時代に建てられたもので、質素な外観に反し、内部は贅沢で調和のとれたロココ調に装飾されている。教会の中心部はロマネスク様式だが、ゴシック様式のアーチ形天上が、18世紀に入ってロココ様式に完全に建てかえられた。

聖ウルリヒ司教区博物館 Diozesanmuseum St.Ulrich :
博物館は聖ウルリヒ教会Ulrichs kircheの中にある。ゴシック初期(1225頃〜1240)の階廊付きの建物で、1571年の壁画に飾られている。

聖カシアン教会 Kassianskilche:
大柱に支えられたロマネスク様式のバジリカ会堂だが、装飾は18世紀のロココ様式である。
正面入口の左側に、聖母の聖エリーザベト訪問を描いたゴシックの浅浮彫がある。
-トゥルン・タクシス城舘&博物館Schloss Thurn und Taxis & Museum
もと聖エメラム修道院であったこの建物のいまの所有者は、1867年までドイツにおける郵便業を独占していたトゥルン・ウント・タクシス家である。
約250年後に神聖ローマ帝国が滅びるまで、バイエルンはトゥルン・タクシス家が牛耳っていた。
その時の損失を補うため、一族は新しい宮殿を与えられたのだが、これがレーゲンスブルクにあるかつてのベネディクト修道院だ。
トゥルン・タクシス城は、早々と新装し、ヨーロッパー広大な貴族邸となった。水洗トイレや電気まである豪華さが特徴。

ドミニコ会修道士教会 Dominikanerkirche :
地味で簡素なこの建物は、ドイツで最も古いゴシック教会のひとつである。

旧市庁舎 Altes Rathaus :
8階ある塔屋は1250年頃に建てられた。
皇帝の間を含む西側部分Reichssaalbauは1360年頃の建築にかかる。
正面は高い台座に載せられた形の魅力的な張り出し窓に飾られている。
切妻造りの美しい玄関がある。
ドイツ議会が開催されていた場所だが、1806年、事実上力を失っていた議会はナポレオンによっていとも簡単に解散させられてしまった。

国会博物館 Reichstagsmuseum :
最も壮麗な部分はゴシック様式の皇帝の間Retchssaal。
「常設国会」はここで開かれていた。
帝国直属都市コレギウムReichsstadtisches Kollegiumには、レーゲンスブルクにおかれた国会の歴史をたどる展示がある。
地階では訊問室Fragestattのほか、牢獄の独房が見学できる。
-魚市場(Fischmalkt):
魚の泉Fischbrunnenとも呼ばれる1600年頃の聖ゲオルクの泉Georgsbrunnenがある。

市立博物館 Stadtisches Museum :
フランシスコ会旧修道院(13世紀)に、石器時代から現代までのレーゲンスブルクと東バイエルンの文化史、芸術史をたどる博物館が置かれている。
 ローマ時代のセクションにこの町の「創設証」が保存されている。
長さ8mの石板で、179年、ここがローマ軍駐屯地となったことを述べた碑文が刻まれている。

歴史博物館 Historisches Museum:
市街東部の古い修道院の中にある。
多様な展示は地元史に関するものだが、興味深いのは、市会議員でありまた風景自体を絵画の題材として扱った最初期の画家、アルブレヒトアルトドルファー(1480−1538年頃)の作品だ。

ユダヤ記念碑
中世のレーゲンスブルクでは、ノイブファル広場を中心に、ユダヤ人コミュニティーが栄えていた。
しかし、16世紀の初め、町の経済状況が悪化した際、町の人々はユダヤ人をすべて追放し、住居まで完全に焼きつくしてしまった。
地下にあるノイブファル広場資料館はマルチメディアの展示室で、古代から1942〜43年のナチス抵抗運動に至るまで、ノイブファル広場での出来事を解説している。
残存、もしくは再建された建物には、ローマ軍の要塞、ユダヤ人の住宅、ゴシック様式とロマネスク様式のユダヤ教の礼拝堂がある。

周辺の見どころ

ヴァルハラ神殿 Walhalla
石橋Steinerne Bruckeを通って東に11km。
ドイツ文化に光彩を添えた偉人たちを顕賞するため、1830年から1842年にかけて、バイエルン王ルートヴィヒー世によって建てられたアテネのパルテノン神殿をまねたドーリス様式の神殿。
大理石の階段が、ドナウ川の土手から上がって、偉大で著名なドイツ人を奉る見事な大理石の大広間に至るまで、350段以上も続いている。
内部には121体のドイツ人の胸像と、古代の英雄やさほど有名ではない人々の栄誉を称える64枚の碑板がある。
正面の列柱からの眺めは美しく、ドナウ川の湾曲部、ドナウシュタウフDonaustaufの城の廃墟、レーゲンスブルク大聖堂の尖塔などが見える。
ヴアルハラ神殿へは、クリンガー水運Schifffahrtsunternehmen Klingerのボートクルーズがある。ヴアルハラ神殿で、1時間停泊する。

解放記念碑 Befreiungshalle :
レーゲンスブルグの南西32km、ケルハイムKelheimの近くのドナウ川を見下ろす位置にあり、淡い黄色の円柱で知られている。
1813〜1815年のナポレオンとの戦いで勝利したことを記念したもの。
この巨大な建物の造営を思いついたのは、バイエルン国王ルートヴィヒ一世であった。
広大な円形建物が建てられたのは、1842年から1863年にかけてのことである。
ホールは18の控え壁に支えられているが、そのひとつひとつにドイツ民族を象徴する寓意的な彫像が飾られている。丸屋根の一部を隠している頂部は、丈の高い戦勝碑に飾られている。
内部はまさに神殿で、ローマの勝利の女神、ヴィクトリア像など34の戦勝記念像が円陣を形作っている。
勝利の女神たちは、白い大理石でできていて、それぞれが大きな翼を持っている。
外階段廊からのアルトミュールAttmuhlの谷の眺めが美しい。

ヴェルテンプルク修道院 Kloster Weltenburg:
レーゲンスブルグの南西30km。
教会(1718年)はコスマス・タミアーン・アーザムCosmas Damian Asamの作で、前廊と身廊に分かれている。両方とも楕円形をしている。
まるで劇場の舞台のように「天上の光」に照らされている主祭壇画の聖ゲオルク像がある。
大きく開いた円天井にアーザムの描いただまし絵の半球ドームが見える。