バカラ Baccarat

概要

パリの東方約400kmにあるロレーヌ地方、ナンシーの南東約65kmほどにある村。
世界的に有名なクリスタルグラスのメーカー「バカラ」Baccaratの発祥の地として有名。
所在地の村の名前がそのまま社名になっている。
現在もバカラ社製品はこの村で作られており、親子代々バカラ社で働く人も多い。
工場は創業当時と変わらず、町の中心に建っている。
人口5000人ほどの小さな街だが、クリスタルを買いに来る観光客は多い。

1764年当時の国王ルイ15世、相次ぐ戦争で疲弊した財政の立て直しのために国内産業の発展を奨励。
ガラスの原料となる硅石を豊富に産出するロレーヌ地方のバカラ村に工場を建てる許可を与えた。
しかし、創業から19世紀初頭まで、バカラは単なるガラス工場に過ぎなかった。
当時、クリスタルガラスの製造地はイギリス、オランダ、ボヘミア地方など。
大きく後れを取っていたフランスにとってクリスタルガラスの国産化は悲願だった。

しかし、クリスタルガラスの製造には輝きの決め手となる酸化鉛の配合や気泡を作らない最新の設備が必要であった。
そうした知識や技術は先進国にとっても門外不出だった。
そんな折、一人の男がバカラにやってきた。
ベルギーのクリスタルガラス工房の経営者、エメ・ガブリエル・ダルティーグ。
自社製品の輸出をもくろむダルティーグは、時のフランス国王ルイ18世と交渉。
自分の製品を2年間免税にしてくれたら、クリスタルガラスの製造技術をフランスに教えるという条件を出した。
先端技術の導入を目指していたルイ18世は条件を飲み、バカラでの技術指導が始まった。
このとき伝えられたクリスタルガラスの製造方法は200年たった今も変わることはない。
今から200年前、バカラの職人たちはクリスタルガラスの技を身につけた。
ダルティーグがフランスに来て7年、ルイ18世はバカラを王室御用達と認めた。
バカラのもう一つの職人芸、それは表面に美しい文様を刻む切子の技である。
クリスタルをわずか10分の1ミリという高い精度で削っていく。表面をより滑らかにするために水を流しながら行うカッティングの技術、これもダルティーグからもたらしたもの。
こうしたクリスタルの加工技術は19世紀半ばまでに確立していった。

そして、1855年パリ万博で名誉大賞を受賞、これをきっかけに世界各国の王室から注文が寄せられた。日本の皇室も菊の御紋をあしらったワイングラスを注文している(1878年)。
ロシア皇帝ニコライ2世がランプの注文をしている。(1896年)
こうしてバカラは重要な輸出品となっていった。もちろんフランス国内でも高い評価を受けている。
バカラにはMOF(フランス最優秀職人)の称号を持つ職人が24人働いている。
20年前からアクセサリーも造られてるようになった。Qkbt

アクセス

パリ・東駅Paris EstからTGVでナンシーへ約1時間20分。
ローカル線TERに乗り換え、バカラBaccaratmadeまで約40分。


見どころ

サン・レミ教会 L'Eglise Saint-Remy

バカラのクリスタルステンドグラスが美しい。
第一次世界大戦で、それまでの教会は全壊し、1953年にモダンな教会再建に着工。
ステンドグラスは現代的デザインのバカラクリスタル。青色系を基調とした約150色、12万ピースのステンドグラスで12使徒、人生と光をテーマにしている。
外観はノアの箱舟、正面は聖書を開いた形、内部天井はヴォージュ山脈、鐘楼は三位一体を表している。

バカラクリスタル美術館

サン・レミ教会の近くにある。















Conpyright © sera9.com