カーン Caen

概要

フランス北西部、ノルマンディ地方の中心都市、カルヴァドス県の県都。
戦禍から復興した美食の街。
この町は4分の3が破壊された。
第2次世界大戦ではノルマンディ上陸作戦の進撃拠点として、街の大半を焼失、その後14年の歳月をかけて復興を遂げ、美しい町並みが蘇らせた。

人口約11万人、小さい街ながら1000年の歴史を持つフランスを代表する城下町の一つ。
イギリス海峡に流れるオルヌOrne河口に面し、イギリス・ポーツマスまでフェリーが運航するなど港湾都市としての一面も持つ。
11世紀にイングランドを征服したノルマン公ギョーム2世(イングランド王ウィリアム1世)がこの地に宮廷を設けた。
1060年頃に建設されたカーン城は、ヨーロッパでも最大級の城砦となっている。
ウィリアム1世はいとこにあたるフランドル伯の娘のマティルダとの結婚をしたが、タブー視されていた親族結婚であったため教会から婚姻の無効を宣告されている。その贖罪のために、町にふたつの修道院を建てられた。
現在はともに廃止され、聖エティエンヌ男子修道院の建物は市庁舎に、聖ジル女子修道院は地域圏議会議事堂として利用されている。

カルバドスの集散地であり、この町を起点にシードル街道なる道がある。 
カーン~リジューを結ぶN13号 とカーンとルーアンを結ぶN175号 、随所にシードル醸造所がある。Qkbt

アクセス

鉄道

パリ・サンラザール駅から急行で約2時間、午前はノンストップ便もある。

高速道路A-13号線で約4時間。

市内の交通

トラム

2002年から運行されている2路線は、約16㎞にわたって街を横断している。
トラムはレールが1本しかなくてタイヤで走る。レールの上を伝っていく。城を守るにはいいという。
市内に点在する大学の施設を含んでいることから、学生たちにとっては欠かせない移動手段となっている。
サンピエール停留場が街の中心部。
サンピエール教会の後ろ側に停留所がある。
1回3.95eur

市街地

現在のメインストリートの両側の建物は古いものはなく、戦後に建てられた新しいものばかりである。

6月6日通り

メインの大通りはトラムが貫く。ドイツの占領下いなった第2次世界大戦中、進撃拠点とされたカーンは、街の4分の3が破壊されてしまった。
6月6日通りという名前はカーン解放のきっかけとなった有名なノルマンディ上陸作戦の日にちなんで名づけられた。
ノルマンディ上陸作戦
1944年6月6日ドイツ占領下のパリ解放を目指して連合軍の侵攻作戦。

サン・ピエール通りやフロワド通りが繁華街。

見どころ

サンピエール教会 Eglise Saint Pierre

いちばん高い80m教会。町のシンボル。
13世紀に由来するゴシックとルネッサンスが融合した建築物。
鐘楼の一部が破壊されたのみで奇跡的に戦火を逃れた。

カーン城(デュカル城) Le Chateau ducal de Caen

サンピエール教会の目の前にある。
1060年,イングランドを征服するノルマンディの君主ウイリアム1世が築いた城。
城壁の中には度かなさなる戦禍によって焼失し、現在は美術館が2つと小さな教会があるだけで市民の憩いの広場になっている。そしてなかには第2次世界大戦で犠牲になった市民の慰霊碑がひっそりと置かれている。
ノルマンディの上陸作戦後、1か月以上にわたったカーンの戦い。
激しい戦禍で一般市民を含め、約2万人が犠牲になった。
戦争の傷跡から14年の歳月をかけてカーンの街は見事に復興を果たした。
カーン大学には5つのキャンバスがあり、トラムがそれを繋ぐように走っている。沿線にはキャンパスだけでなく、カーン大学中央病院、学生寮など110か所以上の大学関連の施設があるという。
15世紀の創設のカーン大学は戦争で全キャンパスを焼失、歴史学部の校舎が中央にある。
エンブレムには「不死鳥のようによみがえる。」という意味が込められていた。
大学は1950年代に再建され、現在は2万8000人が学んでいる。

サン・テティエンヌ教会 Eglise Saint Etienne

11 世紀に建設された。
「征服王」ウイリアムが寄進したノルマンディ・ゴシック
第二次世界大戦の戦禍をサン テチエンヌ教会の爆撃の爪痕を見つけることができる。

男子修道院 Abbaye aux Hommes

ウイリアム1世によって建てられたもの。
現在は市役所として使われている。
ノルマンディ公の庶子として生まれたウイリアム1世(1027-1087)、イングランドを征服してイギリス王室の開祖となった。死後は故郷であるノルマンディに眠っている。

カーン平和記念館 Le Memorial de Caen

第2次世界大戦の記録を残す。
1988年にオープンしたこの記念館にはノルマンディ上陸作戦によって壊滅的な被害を受けたカーンの貴重な資料や写真が展示してある。
この戦いでは、上陸地がドイツ軍に知られないために、ダミーのパラシュートを落として敵の気を引き、別の場所を攻撃するという陽動作戦が採られた。
当時の兵士が使用した数々の品もここにある一つ一つの展示物がカーンの歴史を物語っている。
1944年6月6日、連合軍のノルマンディの海岸、5か所から上陸。
ヨーロッパ戦線の天気となった戦いの傷跡が今も残っている。
この戦いでドイツ軍と合わせて約24万人の死傷者を出した。最大の犠牲者が出たオマハビーチでは突撃した兵士の半数が死亡。
上陸後も約2か月以上にわたって激しい戦いが続いた。

プレイリー競馬場 Hippudrome de la Prairie

街の真ん中に約90ヘクタールの競馬場がある。
カーンの市民によって寄贈された土地。市ではなく、市民によって。
もともと私有地だったが、地主の遺言によって市民全体のものとなったこの広大な土地。
1932年から鳥や植物などの自然保護地区となり、建物を建てられなくなった。代わりに自然を残す形で競馬場になったというわけである。
ここではトロとターレース?が行われている。
トロとターレースは古代の戦闘用馬車競争に由来する競馬だ。騎手が乗る2輪車は重さ約15㎏、
カーンは1834年フランスで初めてトロッターレースが行われた都市である。
トラム;
レジスタンスResistannce駅

平和記念碑 Mémorial pour la Paix

第二次世界大戦の犠牲者への記念として建てられている。
連合国のノルマンディー上陸後に、カーンは激戦の地となっており多大な犠牲を払った。















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