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人口約2400人
概要
シエナの南東52km、トスカーナ地方の最南端に位置する。
ピエンツァは東西400mの小さな丘で、オルチア渓谷に囲まれている。
古くはコルシニャーノCorsignanoと呼ばれていた。起源は不明であるが古代ローマの名前を持つ新開地であったこの土地は,9世紀にはすでにアミアータ山monte Amiataの大修道院がこれを所有し,次いでシエナの自治都市の手に移り,最後にピッコローミニ家の領土となった。
1405年にこの地で生まれたアエネアス・シルヴイウス・ピッコローミニにこの町の名前は由来する。
人文主義者、外交官、詩人でもあったピッコローミニは、1458年にローマ法王ピウス2世となった。
法王となったピウス2世はこの田舎町の地名をピエンツァに変え,理想の町にしたいと考え、フィレンツェ出身の建築家ベルナルト・ロッセリーノ(1409−1464)に設計を命じた。
それはルネッサンス建築の歴史に残る大事業といわれている。
この小さな町をロッセリーノはまっすぐだった道にカーブを付けて長くするなど(ロッセリーノ通りになっている)少しでも大きく見せる工夫を施した。
町の中心であるピオニ世広場のまわりにロッセリーノが設計した主要な建築物が並んでいる。
都市改造は,ロツセッリーノの建築様式に調和した家や邸舘を建設するよう多くの民間人はもちろんのこと,枢機卿に対しも法王が義務つけたことによって推し進められていた。っしかしながら、1464年のピウス2世とロッセリ−ノの死により未完の作品が残されることとなつた。
中世ルネッサンスに彩られたこの町は、トスカーナの宝石とも呼ばれ、1996年世界遺産に登録された。

アクセス
シエナからバスが一日1〜2便運行されている。
ローマからも一日1〜2便運行されている。
小グループの場合に、フィレンツェに滞在していると、7〜8人乗りヴァンタイプの車を現地の旅行会社かホテルに頼んで手配してもらうといい。近くのワインで有名なモンタルチーノなどを巡って終日小旅行ができる。600ユーロくらい。


市街地
ピウス2世広場 Piazza Pio U
丘の最も高い場所にある。オルチア渓谷の美しい景色が蕪しめる.
1459〜62年にロッセリーノによって着手された市街地改造がもたらした傑作である。
かつては中世の町の広場があったが,これを広範に取り壊すことで,広場の形態を台形スペースに作り替えることができた。
広場に面して大聖堂、ピッコロ一ミニ館palazzo Piccolominiがある。いずれもロツセリーノの設計による。
反対側には,美しい扉ロと2層に並ぶ十字形窓を持っ重厚な司教舘 palazzo Vescovile(かつてのポルジア館 palazzoBorgia)と,博物館の入っている司教座聖堂参事会員の家 casa dei Canoniciが並ぶ。
大聖堂の向かいには,通りの片側に1463年修復された市庁舎 palazzo pubblicoが建ち,その右側に狭間付きの優雅な鐘楼がそびえる。
通りのもう片側には,窓を2層に配したファサードを持つ15世紀の建物のアンマンナーティ館 palazzo Ammannatiが接している。

ロッセリーノ大通り Corso Rossellini:
町のメインストリート。
この小さな町のサイズをそのままにして少しでも大きく見せる工夫を施した。
ロッセリーノはまっすぐだった道にカーブを付けて長くするようにした。
ルネッサンス様式の貴族の邸館が両側に建ち並ぶ。
ムレンロ門 porta al Murello方面へ向かうと,アンマンナーティ館 palazzo Ammannatiの落ち着いたファサードの向かいにピッコローミニ舘があり,
その先にサン・フランチェスコ教会 S.Francescoがある。この教会は13世紀末のコシック様式で,城壁の内側に残る唯一の中世建築である。
もう一方の,チリオ門 porta al Ciglio方面へ延びる区間には,司教館の北正面に15世紀のジュフロウ館 palazzo Jouffroy(30番地),少し先に15世紀のコンザーガ館palazzo Gonzaga(38番地)が建つ。門の近<のアーチから,景観が眺望できる歩行者用のカステツロ通りvia delCaste11oへ入ると,ピウス2世広場へ戻る。


見どころ
大聖堂:
ロマネスク様式の昔の教区教会のあった場所に,ロッセリーノの設計に基づき1459〜62年に建立された。ルネッサンスいる
正面のファサードはロッセリーノが初期ルネッサンス期の調和を基調としたデザインの設計されている。
3層で構成され,円柱に支えられた荘厳なアーチに形どられ,その上に施された彫刻はピッコローミニ家の紋章である。
3つの扉口の上部には,中央の丸窓と2つの聖鳥形のニッチが施されている。左側面には先の尖った八角形の鐘楼がそびえる。

内部はゴシック調で高さが均一な三廊式で、シエナ派の絵が数多く収められている。その中には、ヴェッキエッタの傑作「聖母被昇天」がある。
ピウス2世の指示で、彼が聖職者になる前に外交官として仕えていた当時、ドイツを旅した際に称賛した「ハレンキルヒェンHa11enkirchen」形式に着想を得てドイツ風に仕上げられている。
壁は純白に塗られ、大きな窓からは明るい日差しが差し込んでいる。カトリックの教会のほかにない特徴は、ピウス2世が太陽の光を神の象徴と考えたためだという。
光を遮ってしまわないようにステンドグラスもない。