概要

ラトビア共和国の首都。人口約80万人、
経済や交通の中心地でバルト3国で最大の都市となっている。
リーガ湾に流れ込むダウガヴァ川の左岸に位置する
1-201年ブレーメンの司教がダウガヴァ河口に上陸し築かれた町は、ドイツ人によるバルト地方征服の拠点となった。
13世紀にハンザ同盟に加わり急速な発展を遂げた時代の教会などが今も旧市街に残る。
旧市街はカリチュ通り Kalku を挟んで2つのエリアに分けられる。
南側にある市庁舎広場 Ratslaukums を中心に聖ペテロ教会 Sv. Petera Baznica などが、
北側にはドゥァマ広場 Doma Laukums を中心にドム大聖堂 Riga Domes などの見どころがある。
ドイツ人によって都市の基礎が形作られたという歴史的は経緯があるため、中世ドイツらしさが残り、ドイツよりもドイツらしいと言われている。
旧市街は中世ドイツの商業都市の特徴が多く見られ、とりわけハンザ同盟時代の街並みがよく残されている。
ソ連邦の時代、旧市街の開発には手がつけられていなかったため、これが街並み保存に寄与して世界遺産登録になった。
新市街は官庁やオフィスが集まる地区で、16世紀からポーランド、スウェーデンと支配を受けた後、19世紀帝政ロシアの時代に建てられたユーゲントシュティール様式の町並みを見ることができる。

近郊には、ラトビア野外民族博物館 Latvijas Etnografiskais Brivdabas Muzejs やルンダーレ宮殿 Rundales Pils など日帰りできる観光スポットがある。TA


空港
リガ国際空港 Riga International Airport(RIX)
市街から約8km。
22番線又は22A番線のバスでリガ駅まで行くことができる。
大きな荷物を携えているときにはホテルまで直接タクシーがお薦め。


リガ駅
旧市街の東寄り、旧市街まで徒歩5分。
改装工事が進み、近代的な駅舎に生まれ変わった。
モスクワ(リーシスキー駅)やサンクトペテルブルグ(ヴィチェプスク駅)への国際列車が毎日運行されている。

リガ港
旧市街の北1km。
港の先にあるトラム停留所からトラム利用も可。
ストックホルム、リューベックなどへの定期便が就航している。


リガバスターミナル
旧市街の南東にある。中央市場の入り口。
タリンやヴィリニュスへ毎日数便運航している。
モスクワ、サンクトペテルブルグへの長距離バスも毎日数便ある。
タルトゥ、カナウス、シャウレイ、クライペダなどの地方都市へも定期便が運航されている。
ポーランド、ベラルーシ方面への長距離バスもある。



市内の交通
トラム(11路線)、トロリーバス(20路線)、市内バス(40路線)の3つで、距離の大小関係なく値段は共通して0.40ls。
その他にミニバスもある。



見どころ
リーガ大聖堂 Riga Domes
1211年アルベルト司教が建設を始め、何世紀にもわたり改築を重ねられた教会。ロマネスクからゴシック、バロックなど複数の建築様式が見られる。高さ90mの塔の上には雄鶏の像がある。教会内には19世紀末から20世紀初頭にかけて作られた美しいステンドグラスと、重厚な世界最古のパイプオルガンがある。
現在はプロテスタント教会のほか、博物館やコンサートホールとしても利用される。TA
オルガンコンサートが毎週開かれている。

猫の家 Kaku Maja
リーヴ広場にあるかつてのラトビア商人の家だが、屋根の頂点に猫が乗っていることから猫の家と呼ばれている。この猫の像は、当時ラトビア人であることを理由にギルドへの加入を拒否された商人がドイツ人への抗議の意味を込めてビッグ・ギルドに背を向けて設置したと伝えられている。TA

火薬塔;

聖ヤコブ教会;

聖ヨハネ教会 Sv.Jana Baznica

13世紀に創建された教会で16世紀になってゴシック様式に再建された。中世の信仰により、生きた人間を壁に塗りこめることにより、建物を災難から守ろうとしたと伝えられている。実際に19世紀の修復作業の際には壁の中に空洞が見つかり、2人の修道士の亡骸が発見された。TA


聖ペテロ教会 Sv. Petera Baznica
1209年に建てられた街の中心的なシンボル。
マルテイン・ルターの教義がリガで宣言された教会。
18世紀の改築でバロック様式に姿を変え、第二次大戦後に再建された教会。尖塔の高さは約123mで、街歩きの際には目印となる。
72mのところにはエレベーターで昇れる展望台があり、リガ市内を一望することができる。qTA








三人兄弟の家 Tris Brali
リガで最も古い3軒の住宅。まるで兄弟が肩を寄せ合うようにして並んでいることから三兄弟と呼ばれる。ほぼ中世に建てられたままの姿を残していて、1517世紀の建築様式の変化がひと目でわかる。長男にあたる建物は、切妻屋根を持つゴシック様式。次男はオランダ・マニエリスム風のデザインが特徴で、3男はバロック風の建物。内部は建築博物館となっていて、中世の住宅の構造を知ることができる。TA

スウェーデン門 Zviedru Varti
中世には周囲を城壁で囲まれていたリガ。現在も残っているのはこのスウェーデン門のみで、1698年にすでにそこにあった住宅の壁を貫いて造られたもの。スウェーデン兵舎が向かい側にあったことからその名が付けられた。ここから火薬塔にかけてのトルニャ通り沿いに赤レンガで復元された城壁と塔がある。TA
1927年以降ラトヴィア建築協会の建物になっている。

聖ゲオルギ教会 Sv.Jura Baznica
リガに現存する最も古い建物となる。
1204年に騎士団の城として建てられたもので、13世紀末に市民により破壊された後、一部が残された。その後は教会として使用されていた。現在は、ラトビア人の民族的な工芸作品を展示する工芸博物館として公開されている。TA

ブラックヘッドのギルド Melngalvju Nams
旧市場に位置している。
15世紀に建てられた建物は1941年の空襲で破壊されたが、リガ創設800年を記念して2000年に再建された。数々の彫刻で装飾された外観は独特なものとなっている。大時計とともに、ハンザ都市(リガ、ハンブルグ、リューベック、ブレーメン)の4つの紋章、ギリシャ神話に登場する神の像などが壁面に置かれている。TA
何世紀もの間この建物はブラックヘッドのギルドという名で、ギルドの家として独身の商人によって使用されていた。(agt)

リガ城 Rigas Pils
1297年に市民との衝突を征したリヴォニア騎士団がリガ市民に建てさせた城。1470年まで騎士団長の住まいとなった。リヴォニア戦争後は、ポーランド、スウェーデン、帝政ロシアの支配者が移り住み、現在ラトビア大統領の官邸として使用されている。城の一部は歴史博物館および海外美術館として公開されている。TA


自由記念碑;







国立オペラ座;

ユーゲントシュティール建築群
;(アルベルタ通り)
アール・ヌーヴオーとも呼ばれ、1899年から1914年に起こった建築の新様式運動のことです。最も初期のアール・ヌーヴオー様式の建築はアルベルタ通りに見られ、有名な建築家M.アイゼンシュタインが手がけた建築がたくさんある。


近郊
ラトビア民族野外博物館 Latvijas Etnografiskais Brivdabas Muzejs
リガの東、ユグラ湖畔の松林に造られた野外博物館。広大な敷地にラトビア各地からさまざまな民族の代表的な建築物107棟を集めて展示している。教会、農家、風車などが点在し、民族衣装を着たスタッフにより管理され、職人による民芸品制作の実演を見たりレストランで田舎料理を楽しんだりすることができる。TA

森林公園 Mezaparks
5年に1度、野外ステージでラトビア歌の祭典が開催され、世界各地からおよそ2万人もの歌い手が集まる。広大な敷地の公園には動物園や遊園地などもあり、市民の憩いの場となっている。TA

ユールマラ
美しい砂浜が30km続く海岸避暑地