ポルトから314km、マドリッドから658km、

歴史
*この町の歴史は古く、紀元前1200年には、海の遊牧民といわれたフェニキア人が港をつくり、今のサンジョルジェ城あたりに最初の町を築いていた。
*その後、往来するギリシャ人、カルタゴ人なども地中海や北ヨーロッパへの航路の中継港としてを利用していた。
*紀元前205年、第2ポエニ戦争でカルタゴに勝利したローマ帝国の支配が始まる。
*ローマ帝同の衰退は町の衰退へとつながり、ゲルマン民族(西ゴート族)侵入の時代を迎える、そして711年にイスラム・アラブ(ムーア人)の侵入でリスボンは再び繁栄を取り戻す。
*それから何度かキリスト教徒の攻撃にあうが、当時の先進国だったイスラム教徒は平和裏におさめ、建築・工芸などの技術導入が進み町が発展していった。
しかし1147年アフォンソ・エンリケスによって、イスラム系ムーア人の勢力からリスボンは奪回され、レコンキスタは終了した。
*そして1255年、アフォンソ3世によって首都はコインブラからリスボンに移された。
*大航海の時代には繁栄を謳歌し、街は西ヨーロッパで最も美しいといわれるまでに発展していった。
*だがキリスト教の祝日だった1755年11月1日、教会で祈りを捧げるリスボン市民を大地震が襲い、街の大半は崩壊してしまった。ボンバル侯はパリをモデルにした町の整備を敢行し、今日のリスボンの基礎がつくられた。
*もはや大航海時代のように海外植民地からの銀も来なくなっており、以降は取り立てて大人物も現れず、近代化への波にも乗り切れなかった。
*1910年、王政が廃止され、ポルトガルに共和制が誕生。その後の政情不安と経済混乱を立て直したのはサラザールだったが、彼の右翼的な独裁政治は次第に市民の新たな相互不信や不安を招いた。そして1974年4月25日、自由を目指して立ち上がった軍人グループによる革命は無血で成功し、この時、銃にカーネーションが飾られたことから「カーネーション革命」と称され、人々は「リスボンの春」と呼ぶ。



空港
リスボン国際空港Aeroporto da Portela(LIS)
ターミナル1
国際線と一部の国内線の発着。
ターミナル2
国内線離陸専用


市内への交通機関アクセス
*アエロ・バス
91番,20分間隔(21時〜23時は30分間隔)。
経由:ポンバル侯爵広場〜ロシオ広場〜CPカイス・ド・ソドレ駅
*タクシー


鉄道
リスボン周辺の新都市へは頻繁に電車が発着しているが、中・長距離はあまり多く運行されていない。国際列車はパリ、マドリッドからの直通便がある。
4つのターミナル駅がある。
-サンタ・アポローニア駅 Estaca de Santa Apolonia
コメルシオ広場から北東約1.5km。国際列車、パリ、マドリッド、ポルトなど北部からの国内線発着
-ロシオ駅 Estacao do Rossio 
ロシオ広場の4階のホーム。シントラ方面発着
-カイス・ド・ソドレ駅 Estacao do Cais do Sodre 
コメルシオ広場の西700m、エストリル、カスカイス方面発着
-バレイロ駅 Estacao do Barreiro
テージョ川の対岸にある。コメルシオ広場の東にあるテレイロ・ド・パソ駅 Terreiro do Paco というフェリー乗り場から列車の発着時刻に合わせてフェリーが連絡。30分おき。
切符はフェリーに乗る前に購入する。



市内交通
地下鉄4系統
全線均一料金。回数券、地下鉄全線乗り放題券がある。
市電、
市バス、
ケーブルカー

共通に使えるModuloという前売券(2回分)、1日券、3日券がある。


街の様子
ポルトガルの首都リスボンはイベリア半島の中で最も長い河、テージョ河が大西洋に注ぐ河口に開けた都市。
テージョ川はスペインではタホ川と呼ばれトレドなどを流れている。
リスボン市街は、テージョ川に向かってゆるやかにているが、さらに7つの丘が取り囲み、そこらじゅうに急な坂道を作っている。
ポルトガルの人口は約1千万人のうち約1割が首都リスボンに集中しているが、他の国の首都と違ってどことなく落ち着いた雰囲気がある。悪くいえば活気がないということになる。隆盛を極めた古き良き大航海の時代の素朴さを失っていない。
街の中心部は昔のものと近代化しているものが混在している。建物だけでなく、街を走る市電も超モダンなものから、昔のままにクラシックもの、急坂を上下するだけの変形のケーブルカーなど、散策していて飽きさせない。しかし、しゃれた商店街のウインドウを見ていても、あまり日本人の購買欲をそそるものは見当たらない。
名所・旧跡を駆け回り、ショッピングにいそしむ旅行はリスボンには似合わない。千年に及ぶ歴史を端々に残す街を歩き、ポルトガル独特のゆったりとした時間の流れに身を任せると、この街の素顔が見えてくるに違いない。



見どころ

サン・ジョルジェ城 :
市内を一望する。
リスボン最古のサン・ジョルジェ城址だけで建物は残っていない。
ローマ人以前フェニキア人がここに町を作ったというが、5世紀にゲルマン民族の西ゴート族が塁壁を築き、9世紀にイスラム教徒によって改築された。
以後キリスト教徒の下に置かれるようになってからはポルトガル王の居城となり、今は城址公園として市内を一望できるところで市民の憩いの場となっている。



アルファマ地区 
1755年11月1日午前9時40分、リスボンを襲って大地震はリスボンの大部分を崩壊させてしまい、続いて起きた火災は6日間も燃えつづけ、5万人の人口を2万人にまで減らしてしまった。
だが、このリスボン一古いアルファマ地区だけは生き残った。急な斜面に細い迷路のような道路は住民の生活の匂いがそのまま伝わってくるところだ。サンタ・ルジア展望台もこのアルファマ地区の中ほどにある。

コメルシオ広場 
200m四方の広場でテージョ川に面している。宮殿広場とも呼ばれているが、マヌエル1世の宮殿のあったところ。中央にジョゼ1世の騎馬像がある。





ジェロニモス修道院 
テージョ川沿いに建つ壮麗な建物で、エンリケ航海王子が船乗りのために立てた礼拝堂跡に、マヌエル1世が1502年に着工したマヌエル様式の代表的修道院である。
内部に入って左手に1497年喜望峰回りのインド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマの石棺が安置されている。

発見のモニュメント 
テージョ川沿いに立つ高さ5mのモニュメント。
1960年、エンリケ航海王子の500回忌を記念して建てられたもの。日本に到達した年号は種子島に着いた1543年ではなく、豊後に漂着した1541年と刻まれている。






ベレンの塔 
発見のモニュメントの500mほど川下寄りに、川に突き出たように四角い塔が立っている。
これがベレンの塔。マヌエル1世の命により1515年から1519年にかけて、フランシスコ・アルーダによって建設したマヌエル様式の塔。
中に入ると潮の干満を利用した政治犯の地下水牢があった。2階は砲台で、航海の安全を守る「ベレンのマリア」像が建てられている。



4月25日橋
以前はサラザール橋という独裁時代の国家元首の名だったが、1974年4月25日の無血のクーデター、いわゆるカーネーション革命を記念して現在のような名前に変わった。
吊り橋としてはヨーロッパ最長で、世界でも3番目の長さ。全長2278m、2本の橋脚間1013m、水面から最高が70m、2本の橋脚に高さが190m。1962年起工し、1966年に完成した。 TA


海洋博物館