文化財豊かな世界遺産登録地
サン・ミゲルに次いで活気があり、家畜の飼育や海藻収集が盛んな面積397kuの島。
ポルトガル人の到達が3番目だったことからこの名がついた。大きさも3番目。
闘牛の島といわるほど,祭りでは闘牛が盛大に行われる。
溶岩を積んで仕切った牧草地がパッチワークを思わせ,至る所で,インペリオと呼ばれるパステルカラーの色彩豊かな礼拝堂に出会う。
島中央部では,所々で今もくすぶるような噴煙が上がっている。
中心は南東岸の要塞都市アングラ・ド・へロイズモ。「英雄の小さな湾」の意味で,16世紀の終わり,スペインの侵攻に抵抗した英雄にちなんで名づけられた。欧米を結ぶ大西洋の主要港で,19世紀初頭まではアゾレスの中心都市であった。ユネスコの「世界文化遺産」に登録されている都市でもある。
湾の西に突出た半島のモンテ・ブラジル山が港を望み,港から続くディレイタ通りが町の中心に続いている。
1980年の地震の火災で破損したカテドラルは,もとは16世紀に改築されたゴシックの教会で,自を基調とし,格子はジャカランダ,やはりジャカランダ製のテーブルには大理石のインレイが施されている。
ノッサ・セニョーラ・ダ・ギア教会は,18世紀の修道院だが,もとは15世紀の建物で,ヴァスコ・ダ・ガマの兄パウロ・ダ・ガマが埋葬されている。
ペドロ4世のオベリスクの立つアルト・ダ・メモリアは,市街やモンテ・ブラジルの格好の展望所である。モンテ・ブラジルの麓のサン・ジョアン・バプティスタ城は,ポルトガル王でもあったスペインのフィリッペ2世が築いた砦で,現在は軍の施設。1669年から1675年,ここにアフォンソ6世が幽閉されていた。内部に教会がある。
1980年の地震で,アングラ・ド・エロイズモの建物やモニュメントは破壊されたが,
現在,再建が進められている。