シェイクスピア William Shakespeare
ウィリアム・シェイクスピアは、1564年4月23日、ストラットフォード・アポン・エイボンの皮革商の家に生まれた。父親が事業に失敗したため、13歳の時から学業を捨て、家計を助けるために働くこととなった。18歳のとき8歳年上のアン・ハサウェーと結婚したが、1585年、単身ロンドンに出て劇団に所属し、俳優となり、脚本も書いた。また、154編から成る14行詩(ソネット)を書き、その作品はいずれも成功を収め、イギリス・ルネッサンスの最高の文学であり、そして世界的な古典としてその地位は確立している。
彼の書いた脚本は37あるが、大別すると、悲劇、喜劇、歴史劇に分けられる(さらに問題劇、悲喜劇などに分ける場合もある)。以下は代表的な作品。

4大悲劇:『ハムレット』『オセロ』『リア王』『マクベス』
悲劇:『ロミオとジュリエット』『夏の夜の夢』『ジュリアス・シーザー』など
喜劇『じゃじゃ馬ならし』『ヴェニスの商人』『お気に召すまま』など
歴史劇:『ヘンリー6世』など

これらの題材は古くからあったものが多いが、シェイクスピアはそれらをドラマチックな構成に仕立て、印象的なセリフで演出をした脚本を書いたのである。
シェイクスピアの作品に出てくる言い回しは、現在でも様々な場面で引用されている。例えば、会話の中で「To be or not to be; that is the question.」(実際は多少単語を変えることが多いが)と聞いて、「ハムレットからの引用だな」とピンと来るのが知識人の証しのようなものになっている。
1616年4月23日に生涯の幕を閉じたが、ストラトフォード・アポン・エイボンでは毎年この日にシェイクスピア祭が開催される。街は美しい田園風景の中にあり、チューダー様式の古い家並も多く残されている。シェークスピアが生誕し永眠したこの地は、別名シェークスピア・カントリーと呼ばれる。


ワーズワース(William Wordworth)
イギリスを代表するロマン派の詩人であるワーズワースは、1770年4月7日に生まれた。ケンブリッジで学び、多国を遊歴した後、妹ドロシーとイングランドの北西部の湖水地方にあるグラスミアに移り住んだ。ここは今でもワーズワースが暮らした18?19世紀そのままで、石造りの家並や塀のたたずまいは落着いた雰囲気。ダヴ・コテージは、桂冠詩人ワーズワースが最も長く創作活動を行い、傑作を生み出した家で友人の詩人であるコールリッジやド・クィンシーと交流した場所でもある。その横にワーズワース博物館があり、ワーズワースの自筆の原稿、写真などが展示されている。
自伝的長詩「プレリュード(Prelude)」(1798?1805)、「ティンターン・アベイにて(Tintern
Abbey)」(1798)、「幼児を追想して永生を知る(Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood)」(1803)等の傑作の他に多くの有名な短詩がある。

ビアトリクス・ポター Beatrix Potter
「ピーター・ラビットのおはなし」をはじめ、数々の愛らしい絵本の著者であるビアトリクス・ポターは、1866年にロンドンで生まれた。
ポターは毎年夏の3?4か月は家族とともに湖水地方やスコットランドの田園で過ごした。イングランド北西部にあり、湖だけでなく山、川、牧草地、石造りの古い家などが四季折々の絶景を見せてくれる湖水地方は、イングランドで最も自然が美しい所である。
ポターはこの地をこよなく愛し、自然を観察して動植物をデッサンすることに夢中になった。27歳の時、4匹の野うさぎの絵手紙を元家庭教師の病身の息子ノエル宛てに書いた。
「ピーター・ラビットのおはなし」はこれによって誕生し、大評判となり、ポターは次々と絵本を創作した。
湖水地方の自然が破壊されることを恐れたポターは、本の印税で周辺の土地や農場を買って、遺言によりナショナル・トラストに寄付している。
ここにはメルヘンチックな童話の世界が息づいている。

アンドリュー・ロイド・ウェバーAndrew Lloyd Webber
大ヒット・ミュージカルを次々と創り出すアンドリュー・ロイド・ウェバーは、1948年3月22日、ロンドン生まれである。父は作曲家、母はピアノ教師という一家に育ち、オックスフォード大学卒業後、音楽研究のため王立音楽院に進んだ。
1968年に作詞家ティム・ライスと組んで「ヨセフと不思議なテクニカラーのドリームコート」を創作し、70年には同じコンビで「ジーザス・クライスト・スーパースター」を発表。それが大ヒットとなり、ロイド・ウェバーは作曲家として全世界の注目を集めることとなった。
そして、「エヴィータ」「キャッツ」「オペラ座の怪人」「スターライト・エクスプレス」「サンセット大通り」…と、彼の華麗で多彩なメロディーは世界を席巻し続け、トニー賞、ドラマ・デスク賞、グラミー賞をはじめ数多くの賞に輝いていた。1992年には、ナイト(卿)の称号も授かっている。
サラ・ブライトマンは、1981年にロイド・ウェバーと出会い、「キャッツ」にオリジナルキャストとして参加した。サラは、ロイド・ウェバーが彼女のために書いた「オペラ座の怪人」でクリスティーヌを演じた。3オクターブの歌唱力を持ち、ミュージカル女優からスタートし、現在はクラシック、ヒーリング系の曲までこなす多彩な歌手である。ロイド・ウェバーは、一時期彼女と生活を共にしたことがある。