概要

人口7000人
黒海沿岸で一番美しい町とされる。
サフランボルSafranboluの北90km、ゾングルダックZonguldakの東100kmに位置している。背後を山に囲まれていて、東西に隣接している海辺の町とは道路事情も悪く、内陸部から山越えをして降りていくしかない。

こぢんまりとしているが、リゾート気分を満喫できる。
エーゲ海沿岸のような派手さはないが、落ち着いたリゾートタウンとなっている。
2つの港とも、沿岸にレストランが連なり、夏はとても賑やかだ。

旧港と新港の2つの港が半島で分かれていて、新港側にはサンドビーチもある。
首都アンカラから車で4時間あまりで来ることができるため、週末はにぎわいを見せる。
ホテルも夏の金・土曜の週末は宿泊料金が50%も値上がりする。
ただし、レストランやホテルの多くは、10月末には閉鎖して、早くとも5月までは利用できない。
アマスラは昔から木彫りの装飾品が有名で、木彫り職人がたくさんいて、手工芸品から家庭用の道具類を造って売る店が旧市街中心地の細い小道に軒を連ねている。
最近はほとんど観光客相手の装飾品や土産物しか作っていないところも多くみられる。
木工品がとても安く手に入るため、大きさも手ごろなものが観光客に人気となっている。
2つの港を分ける半島の突き出した先端部は小島になっていて、堅牢な石橋で結ばれている。
町全体を城塞が囲んでいる。

同じ黒海沿岸地方になるサムスンSamsunの南130kmの内陸部の町に、アマスヤAmasyaという似たような名前のがあるので、まちがえないようにしたい。


小史
ビザンチン帝国時代、セサモス・アマストリスSesamosAmastrisと呼ばれていた小さな商業港だった。
861年頃に、強欲なロシア人に対抗するために城塞(カレKale)が作られたが、後にそれよりも大きな城塞に建て替えられている。
1270年にはジェノバ商人に交易所として貸し出されていたが、1460年アマスラは戦わずして、征服王メフメト2世が率いるオスマン朝の支配下に入った。
1798年にナポレオンがオスマン帝国領エジプトに侵略したときは、アナトリアで商いをしていたフランス人商人が、ここに集められて5年間拘留された。敵のスパイと疑われたのだ。
オスマン帝国の支配下になると、黒海の港のほうが反映し、次第に衰退していった。


アクセス
サフランボルから車で約1時間30分、アンカラからは約4時間30分〜5時間。
アマスラへの直通の長距離定期バスはない。少し内陸に入ったバルトウンBartinまではサフランボルSafranbolu(2時間、92km)、アンカラAnkara(5時間、280km)が結ばれていて、そこから、アマスラ行きのミニバスが約40分おき(所要30分)に出ている。乗り場は郵便局(PTT)のある交差点近く。