概要
カッパドキアの地下都市はこれまでに36ヶ所の存在が確認されている。
先史時代、人々は自然の厳しさから身を守るために、自然の洞窟を見つけるしかなかった。氷河時代の厳しい自然条件の下でも、洞窟に住み狩猟採集の原始的な暮らしを続けて生き延びてきた。

自然環境が変わり、農業や牧畜を知り、家を建て、村ができるまでは長い時間が必要だった。
厚く体積した火山灰に覆われたカッパドキアでは、岩山や谷間の岩壁、地下にまで岩窟住居を造ることができた。地上で暮らすようになってもカッパドキアの人々は洞窟生活を完全に捨て去ることはなく、危険が迫った場合は素早く地下にもぐった。エルタシュ、カルタァ、チャーヌ、カフヴェジなどの山頂には、見張りの塔の跡が残っている。

一時はアラブ人から逃れたキリスト教徒が住んだこともあるといわれる。
今日まで残念ながら地下居住地から、1つの道具類も生活用品も発見されていない。
それは、この設備が仮の住まいであり、キリスト教社会が迫害から開放されて以降かつての重要性を失い、計画的に退去が行われたと考えられている。
アナトリアでは、紀元前3000せ紀ごろに金属の使用が始まったこと知られていることから地下居住地の建設には、金属の道具が使用されたようだ。
上階の仕事はぞんざいで無秩序、下の階に行くにしたがって計画的に注意深く作業をしていることがわかっている。

地下都市の建設方法として、まず深さ70−85mに及ぶ、地下水脈に達する換気坑を掘る。
換気坑から横に穴を掘り進んで地下都市を造っていく。掘り出した土砂はといえば、あらかじめ掘ってあった換気坑から巻き上げ機によって、地上に引き上げていた、と考えられる。
最初に換気坑を掘っていなかったとしたら、酸素不足のため快適に働くことはできない。
では、地下都市から掘り出した土砂はいったいどこに捨てられたのか。
深さ70−85m、4平方kmの面積を占める都市から掘り出した土砂を−ケ所に捨てたとしたら、1つの丘ができるに違いない。近くの川やデリンウユの西方のソーデレ丘のふもとに捨てられたものと思われる。 
地下都市の換気システムは大変機能的にできている。下の階に行くに従ってより新鮮な空気が届くように設計されている。たとえば、デリンウユの地下都市において、地下7階で換気琉のそばに燃えているマッチや、ろうそくを持って近づくと、炎が換気口に向かってなびくのを見ることができる。
換気坑付近では、気温は夏も冬もー定で7−10度に保たれている。
換気坑から離れた場所では13−16度である。

地下都市の中で興味深い設備の1つは、地下一階部分から地表に開いた直径約10cm、長さ3−4mの穴である。この穴の先端は金属と木製の錐で開けられ、通信のために使用されたのではないかと推測されている。この穴は場所によっては平行して2本、場所によっては1本である。
長年放置されてた地下都市の内部は、雨や雪による浸水、戸口や換気坑から流入する土砂によって埋まってしまった。ある地下都市は全面的に、ある地下都市は部分的に埋まってしまったため、地下に都市があることに気づくことなく、その上に村や町が作られていった。


カイマクル地下都市 Kaymakli
ネヴシェヒルの南19kmに位置する。
まわりに何もないでこぼこの農地のなかに大きな駐車場があり、何段かの石段伝いにお土産屋が連なる先に地下都市の入口がある。
カッパドキアでも最大規模の地下都市のひとつで、ツアーの旅行者が最もたくさん訪れる地下都市。ピークシーズンは入口まで行列ができ、内部もとても混雑する。
ここの全体像は判明していないが、現在、地下4階まで発掘されている。
深さ15−25mで、100本に及ぶ狭い通路が張り巡らされている。
現在も村の人々はその一部を住まいや貯蔵庫、家畜小屋として利用している。
カイマウルの地下都市は設計も建築様式もデリンウユとは異なっている。
通路は狭く傾いており、天井も低い。各部屋は喚起のための竪穴の近くに集中している。
限られたスペースのわりには多くの貯蔵庫があることからも居住者の数はかなり多く、一時は2万人近くになったと推定されている。
地下1階:
飼い葉桶や水飲み場のついた家畜小屋。その左側の石の扉を置いた通路は下の教会に通じている。右側の部屋は日常生活の場だった。
地下2階:
アプスや石の洗礼盤を備えた教会。墓室といくつかの居室。
地下3階:
食糧貯蔵庫や台所。
3階と4階は急傾斜の階段でつながつている。
地下4階:
ワインを造る部屋があり、住人の暮らしが安定していたと想像できる。


デリンクユ地下都市 Derinkuyu
ネヴシェヒルから29km、カイマクルの南10kmに位置する。
デリンクユの村には中央広場のまわりに数軒のレストランと小さなホテルがあり、近くに修道院の聖堂もある。
地下都市の入口はそこから北へ100mのところにある。
地下都市は1965年に公開された。
ここも、カイマクル同様、夏季はツアー客でとても混雑する。
7層の深さがあり、部屋もカイマクルより広い。
煙突状の喚起坑の深さは40mに達している。さらに下にある井戸の渓さは85mで垂直な喚起坑が52本確認され、地下深くの水源に達している。
1962年までデリンウユの町民は滑車を使ってこの井戸から水を汲み上げていたという。
デリンウユが「深い井戸」を意味するのはこのためだ。
この地下都市は近くの30ケ所近い地下都市とトンネルで繋がっており、その住民は1万人近くにのぽるといわれている。
これまで確認された限りで地下8階、総面積2.5平方km、世界最大の地下都市だが、実際の規模は把握できない。
地下1階:
家畜小屋、その隣の行程2つの床からなる部屋はワインやジュース造りの作業場だった。
通路の先の広間は教会と学校で、この地下都市が単なる有事の際の避難場所ではなく、信仰上の目的もあったということを示している。地下2階への通路の両側にも居室が造られていた。
地下2階:
石のかまどのある台所とブドウ絞りの場のあるワイナリー。
通路は居間へと繋がっている。
地下3階:
主に食料貯蔵庫からなる。
水を汲む井戸へ降りるトンネルも設けられていた。
3階から直接地下5階へと続く回廊には、真ん中に穴の開いた石臼状の扉を配置し、いざという時には閉鎖できるようになっていた。
地下4階:
換気シャフトと食料庫、居室がある。
地下5階−6階:
石の扉がが2つ置かれている。
地下7階:
デリンウユでもっとも広いフロア。
3本の円柱で支えられた集会室の向かいに十字型設計の教会がある。
この階専用の井戸もあった。
身をかがめてようやく通れる狭い通路の先に墓室があった。
地下8階まで換気坑が設けられている。


サラトゥル地下都市 Saratli
アウサライ〜ネヴシエヒル間の国道から南に3km入つた地点にある村で、紀元前から住まいとして使われてきた洞窟がたくさん残っている。
その多くはローマ時代に拡張されたと推定されている。
絶え間ない戦や自然の驚異にさらされていた当時、安全に住むのに適当だと判断したようだ。
40の部屋があることからウルウギョズ(40の目)と呼ばれている。
公開されているのは地下3階までだが、本来は7階建てだったと考えられている。
家畜小屋、居室、ワイナリー、貯蔵庫、換気シャフトはもちろん、トイレや浴室も造られていた。
ウルウギョズの名のごとく部屋数の多さが他の地下都市に見られない特徴となっている。


サラトゥル地下都市 Saratli
アクサライ〜ネヴシェヒル間の国道から南に3km入つた地点にある村で、紀元前から住まいとして使われてきた洞窟がたくさん残っている。
その多くはローマ時代に拡張されたと推定されている。
絶え間ない戦や自然の驚異にさらされていた当時、安全に住むのに適当だと判断したようだ。
40の部屋があることからウルウギョズ(40の目)と呼ばれている。
公開されているのは地下3階までだが、本来は7階建てだったと考えられている。
家畜小屋、居室、ワイナリー、貯蔵庫、換気シャフトはもちろん、トイレや浴室も造られていた。
ウルウギョズの名のごとく部屋数の多さが他の地下都市に見られない特徴となっている。
***オズコナック地下都市 Ozkonak
アヴァノスから14kmに位置する。
イディッシュ山の北側、火山灰や花崗岩が厚く堆積した斜面に造られている。
まだ一部だけしか整備が終わっていないが、縦横にはりめぐらされた通路はその規模の大きさを物語っている。
換気システム、井戸、ワイナリー、石の扉などは他の地下都市と同じだが、オズコナック独特の特徴も見られる。各階を貫通する伝達のための竪穴は非常に細く、これは地上に危険が生じた場合の空気穴ともなっていたとみられる。


タトゥラリン Tatlarin(地下都市)
アジギョルから10km北に位置するタトゥラリンの町は.独特な住宅建築で知られるところで、カッパドキアの中でもひときわ興味を引く町となっている。
地下都市はタトゥラリンの中心、カレと呼ばれる丘の斜面に造られている。
1975年に発見され、公開されたのは1991年からだ。
多数の貯蔵庫、広大な部屋、たくさんの教会などが広範囲に配置され、兵舎か修道院を想定させる。
整備できたのはごく一部だけだが、最も重要な地下1階と2階が公開されている。


アジギョル Acigol(地下都市)
アジギョルの町は、アクサライ〜ネブシェヒル間の国道より20kmのところにある。
アジギョル地下都市はマズ Maziやオズルジェ居住地 Ozluceと共通する点がある。
この地下都市へは3つの出入口から入ることができるが、本来の入口は町のメインストリートにある7番の建物の横にある。
石組みのアーチのある通路の突き当たりにある分厚い石の扉は広い居間に通じている。
この居間の周囲には2つの別々の部屋と2つの通路ある。
通路の1つは閉鎖されている。もう1つは他の3つの部屋と2つの通路につながるL字型の第2の居間に通じている。
ここから狭い通路を通って行くことができる第3の居間には、さらに2つの部屋がある。
一般に見学できるところは、2つの大きな石の扉、2本の換気坑、井戸など。


オズルジェ Ozluce(地下都市)
カイマクル地下都市から西方向7km先にある小さな村。
地下都市は、カイマクルやデリンクユのものよりも規模が小さく、あまり開発されていないし、混雑もしていない。
夏の7〜8月にカイマクルなどが長い行列を作っている時でも比較的すいている。


マズ Mazi(地下都市)
マズはウルギュップの18km南、カイマクルの10km東に位置する村で、古代にはマタザと呼ばれていた。
村の広場のはずれに地下都市がある。
地下都市への入口は4ケ所確認されている。メインの出入口は不規則な石を並べたポーチを備え、大きな石の扉で出入りをコントロールできるようになっていた。
扉の内側は容易に開けたり閉じたりできるように十分なスペースをとっている。
広い家畜小屋は他の地下都市と同じで、短い通路が教会へと続いている。
ここも石の扉で閉鎖できるようになっていた。
この町は谷の崖に掘られているため、実際には地下になるのは一部だけだが、6層まで発掘されている。
谷の壁の最上部には共同基地がある。
教会の隅に掘られたアブス(後陣)には浮き彫り装飾が残っている。