概要
チグリス川の上流にあり、古代メソポタミアでは要塞を誇る強大な都市であった.
住居が淡い褐色の断崖と一体になった渓谷の景観は見事。
河畔に続く断崖絶壁に掘られた蜂の巣のような岩窟住居が約6000戸。
宮殿や、キリスト教徒とイスラム教徒が同時に使用していた小さな岩屋の教会など、その構造もスリアニ人の生活も興味深い。その起源は定かではないが、メソポタミアの最も古い入植地の1つとされる。多くは下の町に移り住んだが、今も5家族が岩窟住居に暮らしている。
チグリス川に残る12世紀の橋脚、子弟がその技術を競った2つのミナレットなどもあり、河畔には15世紀半ばに造られた青磁色のタイルで覆われたドーム型の墓が残る。
コチジャーミイは発掘されたばかり。
夏にはチグリス川の川岸に水上レストランが開かれ、シャボートという大型淡水魚の料理を、足を流れに浸しながら食べることができる。
現在計画中の水力発電所を備えた巨大ダム建設計画が進行中で、やがてでこの町の一部が湖底に沈む恐れが出てきた。
アッシリア、古代ローマ、オスマン帝国時代の貴重な遺跡が破壊され、ここに住むクルド人やアラブ民族の伝統的な生活様式が崩壊すると危惧されている。gto