ゲルリッツ Gorlitz

ザクセン州
人口:約56,000人

概要

ドレスデンから北東へおよそ90キロ、首都ベルリンから南東へおよそ190キロに位置する国境の街。
ドイツとポーランドの国境線となっている川がオーデル川とナイセ川である。
ナイセ川沿いにあるのがゲルリッツという町である。ドイツの東端の街ということになる。
かつてはポーランド側もゲルリッツだった。

第二次世界大戦でドイツが敗北する直前、街内を流れるナイセ川にかかる橋が全てが爆破され、ゲルリッツは分断されてしまった。
大戦後の1945年7月から始まったポツダム会議で、ドイツとポーランドの国境としてオーデル川とナイセ川の西側がドイツ、東側がポーランドと決められた。
ポーランド領は名前もポーランド語で「ズゴジェレツ Zgorzelec」になってしまった。
そして東独とポーランドに分かれて別々の歴史を辿ることになってしまった。

ゲルリッツは第二次世界大戦で大きな被害を受けていないため立派な建物が残っている。
500年にわたる3,500余りの歴史的建造物があるといわれ、ルネサンス、ゴシック、バロックの建造物が残されている。東独時代は保存状態も良くなかったため、崩壊の途にあったものもあった。その間に起きた3回の大火で焼失した地域は、現代の様式に再建された。
ドイツ統一後、歴史的な建物の多くを復興するため、連邦政府の特別補助金が割り当てられた。
そして豊かに装飾を施した建物が再生され、驚くほど国際的かつ野心的な街へと変貌してきた。
戦争や破壊からほぼ完全に逃れたゲルリッツの町の魅力は、中世の雰囲気をそのままに、産業革命時代に造られた街路や広場や、美しく細部まで装飾した家々を見ることができる。
2002年の水害により、ゲルリッツとズゴジェレツを結ぶ橋が損傷したが、2004年10月に復旧した。
2007年12月にはポーランドが シェンゲン協定に加入して国境の検問が廃止され、ナイセ川に架る橋を渡って自由に行き来が出来るようになっている。
これによりドイツとポーランド、チェコとの文化交流も盛んになり、映画祭、演劇祭などなどが催されるようになった。

ゲルリッツは映画のロケ地としてもしばしばスクリーンに登場する。戦災に遭わなかった建造物が中世の景色をそのまま残しているため、あちこちで撮影が行われている。

アクセス

ドレスデン中央駅 Dresden Hbfから第三セクターが運行するTrilezという列車で約1時間30分。ほぼ30分間隔。

ベルリン中央駅Berlin Hbfからは快速列車RE/RBで1時間30分、
コットブス駅Cottbus Hbfで乗り継いで1時間10分。ほぼ1時間間隔。

市街地

旧市街は駅Hauptbahnhofの北に広がり、ベルリン通りBerliner Strasseとヤーコプ通りJacobstrasseが通っている。
通りからは、いくつもの広場につながっている。ヤーコプ通り北端のポスト広場Postplatzには、郵便局の本店がある。
さらに北へ行くと、カールシュタットKarstadtの本拠地のデミアーニ広場Demianiplatzとマリェン広場Marienplatzがあり、街の主要バスと路面電車が停車する。
エリザベート通りElisabethstrasseでは、活気のある市場が開かれる。
さらに北上すると、いろいろな用途に使われる、オーバーマルクト広場Obermarktがある。街で主要な広場だ。
 オーバーマルクトの東にあるウンターマルクトUntermarktは、ナイセ通りNeissestrasseに至り、最終的にナイセ川まで続いている。
ポーランド人の町ズゴジェレツZgorzelecは、ナイセ川の東岸に位置する。 1945年以前はゲルリッツの一部だった。市内の塔から西の方角にあるランデスクローネLandeskrone休火山よりも、見晴らし台の方が高い。
 東経15度に位置し、中央ヨーロッパ時間と東ヨーロッパ時間の境界線にあたる。ポーランドに入ると、時間が1時間進んでしまう。

オーバーマルクト広場 Obermarkt

かつでのレーニン広場Leninplatz
オーバーマルクトの東端に、16世紀の三位一体教会 Dreifaltigkeitskircheがあり、かつては修道院で衛兵所だった。
向かいにある観光案内所でさえ、ちょっとした歴史を誇りに出来る。 1813年、ナポレオンが入口の上にあるバルコニーから、彼の軍隊に向けて演説したからだ。
オーバーマルクトの西端には、街の要塞が残っていて、2つの建物は現在、博物館として開放されている。 
この広場の北側、西のライヒエンバッハ塔Reichenbacher Turm は14、15世紀の防御門で、8階は、1904年まで“塔の家族”が使っていた。火事がないかどうか、そこで目を光らせていた。

カイザートゥルッツ博物館 Kaisertrutz(皇帝の防御)
デミアニ広場Demianipiatz。かつての市の防備施設の一部を形成していた直径19mの重々しい円形建物で、1490年から1541年にかけて建設された。現在は市の歴史博物館になっている。
カイザートウルッツ博物館の裏には、市立劇場と花時計Blumenuhrがある。

ポスト広場Postplatzの南は、シュトラスブルク・パッサージェStrassburg Passageで、ベルリン通りとヤーコプ通りにつながっている。それは少なくとも、かつてホテルだった、アールヌーボーのカールシュタットKarstadt百貨店と同じくらい印象的だ。建物の中央まで行って、見事な天窓を見上げるといい。
 デミアーニ広場とマリエン広場の北端にあるディッカー・トゥルムDicker Turm (太い塔)は、プラウエン塔Frauenturmまたはシュタイン塔Steinturm (石の塔)としても知られていて、場所によっては6mもの太さがある。

ウンターマルクト Untermarkt

街の中で最も美しい地区のウンターマルクトは、1537年にネプチューンNeptuneの泉周辺に作られ、市庁舎Rathausも入っている。
ここは3つの区域に分かれており、それぞれ様式も異なる。一番古いのは広場の南西で、星占い時計と金のライオンで有名な塔が立っている。
 ナイセ通りを東に向かう途中、街で唯一の純バロック建築である、バロックハウスBarockhausがある。その隣は聖書の館Biblisches Hausで、正面部分は聖書の場面で飾られている。さらに行くと河川の風景が見える。
 ウンターマルクトから北に向かって、ベーダ一通りPetersStrasseを歩いていくと、ゴシック様式のペトロ教会Peterskirche がある。 1497年に建てられ、中にある“太陽のパイプオルガン”は魅惑的だ。これは、シレジア系イタリア人Silesian- Italianのユーゲリオ・カスパリーニと彼の息子が作ったもので、小さいパイプが太陽の光のように出ている。

市立美術博物館 Stadtische Kunstsammlungen
ナイセ通りNeissstrasse 30番地。
広場の南東角にあるのは、堂々たるバロック建築(1727~1729年)の建物。この町の芸術コレクションには、16~19世紀の美術工芸品と美しいルネサンス、バロックの家具がある。
ガラスコレクションは特に充実を見せている。3階には18世紀の農民の戸棚Bauernschrankeが展示され、その独特の彩色が異彩を放っている。グラフィック・アート収蔵室Graphisches Kabinettには、16~20世紀のグラフィック・アートを展示。















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