ラインスベルク Rheinsberg

ブランデンブルグ州
人口:約8,700人

概要

ベルリンの北西75km ベルリンからの日帰り旅行に人気があるかわいらしい町で、グリネリック湖とリン川にある。
フリ-ドリヒ2世(大王)が皇太子の頃を過ごした宮殿(Schloss)が湖畔に建っている。
大王と同じく、作家のタルト・トゥホルスキーKurt Tucholsky(1890-1935)もこの地を有名にした。
彼は、恋に落ちた二人の都会人が週末を田舎で過ごす物語「ラインスベルクー恋人たちのための絵本」を1912年に発表。
本の中で絵のように美しいラインスベルクを描きベストセラーとなり、町の名を文学的最高峰に高めた。
この物語を読んだカップルが今でも、ロマンチックな週末を過ごしにやって来る。

ラインスベルクの市民はトゥホルスキーを記念して文学博物館を建てた。
「ドイツ並木街道」のルート上にあり、湖から湖へと続く並木のトンネルがこの街道の特徴である。町からお城までは徒歩15分ぐらい。
1991年以来ここで国際的なオペラ・フェスティバルが開催されている。

グリーネリック湖畔にたたずむ牧歌的な宮殿は、フリードリヒ2世(大王)と切り離せない。王がこの地に住んだのはわずか4年であるが、王は後に「人生で最も幸福な時期」であったと回想している。

若いフリードリヒ王子は、ここで気の置けない友人だちと交わり哲学論議に花を咲かせるうちに、「君主は国家第一の下僕である」という認識に至った。ヴォルテールとの文通が始まったのもこの時期で、これは1778年のヴォルテールの没年まで続いた。
建築監督クノーベルスドルフ、画家のアントワーヌ・ペーヌ、彫刻家フリードリヒ・クリスティアン・グルーメが、後にシヤルロッテンブルク、サンスーシ宮殿で最高潮に達するフリートリヒ大王時代のロココ様式を形成したのも、ここラインスベルクにおいてである。

ラインスベルクへのアクセス

ベルリンからの直通電車はなく、幾度か乗り換えていくので時間がかかる。
ベルリン市内と近郊を走るSバーンを乗り継ぐ。
Sバーンのベルリン北駅Berlin NordbahnhofからオラニエンブルクOranienburg(S)までS-1.
ロウエンベルクLowenberg(Mark)まで快速列車で20分、乗り換えて
ラインスベルク駅 Rheinsbergまで快速列車で40分。
乗継時間を含めて3時間ほど見ておいた方がいい。

宮殿へは徒歩だと約15分、
公共のバスはラインスベルク駅から764,785,788,795番線、Rheinsberg,Schloss駅下車、徒歩1分

ラインスベルク宮殿 Schloss Rheinsberg

宮殿は第二次世界大戦後は東ドイツ政府に収用され、ドイツが1990年に再統一するまでは糖尿病患者のための病院として使われていた。
少しずつ往年の姿を取り戻し、18世紀時代の家具や内装を修復している。

橋を渡って毋屋(主要建物)に至る。クノーベルスドルフの手になる中央リザリートエプロンには、修辞学、音楽、絵画、彫刻術を象徴する4体の像を支えるアッティカがある。
列柱廊で結ばれた翼部は、庭側に延びて円い塔で締め括られている。

内部 鏡の間Spiegelsaal、バッカスの小間Bacchuskabinett、アントワーヌ・ペーヌの注目すべき天井画のある控えの間Vorkammerなどの部屋を見学できる。
皇女アマーリエの住居では、赤い部屋と寝室に、多数の絵画(エリザベート・ビジェ=ルブラン作「サフラン侯爵夫人の肖像Portrat der Marquise de Sabran」など)が見られる。
いわゆる「フェルディナントの住居Ferdinandswohnung」は、1767年にカール・ゴットハルト・ラングハンスの設計に基づいて建設された。ラングハンスはまた、ハインリヒ王子の住居の貝の間Muschelsaal も手がけている。
宮殿内にはさらに、タルト・トゥホルスキー記念所Kurt-Tucholsky-Gedenkstatteが設けられている。

庭園 Park 庭園はクノーベルスドルフおよびヨハン・サムエル・ゼロの設計を基本とし、「実用庭園と鑑賞用庭園は合体すべきである」という、庭園文化に関するフリードリヒ2世の特別の関心を反映している。
1740年、フリードリヒ2世がプロイセン王に即位してから数年後の1744年、その弟であるハインリヒ・フォン・プロイセンがラインスベルク城の城主となり、引き続き敷地内を発展させていった。ハインリヒは、実際に居住を始めた1753年から、死没する1802年までに城内よりも付属の庭園の建築物に深くかかわっていて、こちらにも興味深い建造物が並んでいます。
ハインリヒ王子は直角に敷かれた通路のシステムは、この庭園をグリーネリック湖Grienerickseeの対岸(ここから宮殿の眺めがよい)にまで拡大した。
ハインリヒは、自身の死期が近付くと墓石の建築を急がせた。そして完成したのがピラミッド状の大きな墓石である。碑文の一部には、ハインリヒ自身によって彼の半生ついてが執筆されている。

グリネリック湖を挟んでラインスベルク宮殿と向かい合うようにそびえたっているのは、1756年~1763年にヨーロッパを舞台に繰り広げられた七年戦争にまつわるオベリスクの塔である。多くの犠牲者を出した戦いですが、プロイセン王であったフリードリヒ2世からその功績を認められなかった名もなき兵士たちのために、ハインリヒが碑文を送るために建てられたという。

11月〜3月:10〜17時
4月〜10月:10〜18時
月曜は休館日















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