ヴィッテンベルク Wittenberg

ザクセン・アンハルト州
人口:約46,000人

概要

現在の正式都市名は、ルターシュタット・ヴィッテンベルク Lutherstadt Wittenberg
マルティン・ルターがの出身の地として1938年以降に制定された。

エルベ川沿いにある。ベルリンBerlinから南西へ約93km、ポツダムPotsdamの南西約60km、ライプツィヒ Leipzigの北約は65kmに位置する。

ルターと宗教改革の歴史を物語る街。
ヨー囗ッパ社会における大きな変動は小さな町ヴィッテンベルクから起ったのである。

マルティン・ルターはヴィッテンベルク大学の神学教授であったとき、1517年に95ヶ条の論題を城教会の扉に貼ったことにより、カトリック教会・ローマ教皇の贖宥状販売を批判し、宗教改革運動の火ぶたが切られたのだった。

ルターの家 Lutherhaus は、ルターが1508-1546年まで住んでいた家で内部には、宗教改革に関わる資料を展示するルターホールがある。ルターの家の近くには、神学者でルターと一緒に宗教改革運動を進めたメランヒトンの家があり、16世紀当時のまま保存され、書斎などが展示される。
そのルターとメランヒトンの像は街の中心部マルクト Markt に立つ。
ルターが説教を行った聖マリエン市教会 Stadt Kirche St. Marien では、画家であり市長も務めたルーカス・クラナッハが描いた祭壇画にも注目。
ルターの墓もある城内教会 Schloskirche は、扉にルター95ヶ条を貼りだした教会。
ただし、当時の木製の扉は焼失し、現在はブロンズの扉となっている。

ルターの友人であった画家ルーカス・クラナッハLucas Cranachは、ヴィッテンベルクに工房を構えており、ルターとその家族の肖像画を多く残している。
当地の領主ザクセン選帝侯フリードリヒ3世に御用絵師として仕えていて、主に宗教画で多数の作品を残したが、ヴィーナス像をたくさん残している。 独特なプロポーションのヴィーナス像は、独特の官能美をかもし出している。

ルターハウスや市教会、城教会はルター記念物の一部で、1966年にユネスコ世界遺産に登録された。

ルターと同じに同じ大学で二人目の改革者フィリップ・メランヒトンもここで活動し闘っていた。宗教改革の画家であるルカス・クラナッハもヴィッテンベルクに工房を構えていた。彼らの足跡を今もヴィッテンベルクで辿ることができる。

ルターは1525年、尼僧のカクリーナ・フォン・ボラと結婚した。
毎年6月8日に町はルターの結婚式を記念して3日間の祭りを開催している。
歴史上の実際の場所で催される恒例の祭りで、ドイツの市街祭リのなかでももっとも美しい祭リのひとつに数えられている。

街全体は大きくないので、歩いてすべてを見学できる。

アクセス

鉄道

ヴィッテンペルクは鉄道駅内ではLutherstadt Wittenberg(ルターゆかりの町ヴッテンペルク)という正式名称の表示となっている。
ベルリン中央駅 Berlin Hbf.から普通列車で1時間15分。ほぼ2時間間隔。
その間に特急ICEも運行されている。45分、2時間間隔。
ライプチッヒからは1時間。2時間間隔
前後の駅にヴィッテンペルク・マルクトWittenberg-Marktやヴィッテンペルク・エルプトアWittenbelg-Elbtorなどの、各駅停車の列車の駅があるので、そこで下車しないように注意する。
中央駅から旧市街の入り口までは約10分歩くと到着する
路線バス#304番もある。15分間隔。

見どころ

主な見どころはほとんど旧市街地に集中している。

マルクト広場 Marktplatz

広場は切妻壁のカラフルな家屋に取り囲まれている。
ゴシック末期に建てられた市庁舎(1440年)の前に、ルターの彫像(1821年シャードウ作)と弟子のメランヒトンの彫像(1860年フリードリヒ・ドラケFriedrich Drake作)がある。

聖マリエン市教会 Stadtkirche St.Marien

マルクト広場の東の教会広場Kirchplatzにある。
3廊式身廊を持つゴシック様式のこの教会(14、15世紀)は、18世紀にネオ・ゴシック様式の装飾が施された。
1521年の世界初のプロテスタントの礼拝が始まった場所だった。
1522年の有名な説教から3年後、ルターが元尼僧のカタリーナ・フォン・ボラと結婚したのもここだった。
祭壇画には、中央のパネルに伝統的な形で描かれた「最後の晩餐」が描かれているが、画面の右下で注がれたワインを受けとろうとしている使徒はルターの姿を写したものであり、ワインを給仕する人物は、父子いずれかのクラナッハである。
この祭壇画が設置された1547年の時点では、ルターは既に死去していた。

ルターの家 Lutherhalle

マルティン・ルターは1511年より町のアウグスチン会僧院で僧侶として教授として暮らしていました。1525年の結婚の後、家を贈与され、家族とともに38年以上ここに過ごしたという家.
昔の大学であったコレギウム.アウクステウムの中庭にある。
1883年に宗教改革博物館Reformationsgeschichtliches Museumに改造され、古い聖書、写本、ルターの著作の初版本などが、収集・展示されている。
宗教改革時代の美術を扱った部門もあり、ルターの肖像、ルーカス・クラナッハ(父)とハンス・パルドゥンク・クリーンの絵画や版画などを見ることができる。
Coltegienstrase 54
http://www.martinluther.de

城教会 Schlosskirche

市の西部の広い城館広場Schlossplatzの中に建つ城内付属教会、城と教会がくっついたような建物。
選帝侯館付属の教会堂が1760年に焼失したあと、バロック様式で再建されたもの。
堅牢な城砦を思わせるが、戦争で破壊されて再建されたもので、城の部分は今は博物館として使われている。
1517年10月31日にルターが95ヵ条の論題を釘で打ち付けたのは昔の教会堂の扉であったが、1760年に火事によって消失したとしている.
その場所には、このテーゼの原本が1855年に制作されたブロンズの複製が立っている。
内部にはルターとその弟子のフィリップ・メランヒトンPhilipp Melanchthon(1497-1560)の墓がある。
隣の城の塔Schlosstumに登ることができる。

フンデルトヴァッサー学校 Hundorlwasserschule

中心部から北東徒歩20分にある。
マルティン・ルター・ギムナジウム Martin-Luther-Gymnasiumは、通常、フンデルトヴァッサー学校と呼ばれている。
ウィーン生まれの建築家のフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーが現在の外観を設計したことによる。
Strasse der Volkerfreundschaft 13

市街地マップ

https://www.map-one.eu/Wittenberg/















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