ノイブランデンブルク Neubrandenburg

メクレンブルク・フォアポメルン州
人口:約65,000人

概要

ベルリンBerlinの北140km、ロストックRostockの南東110 kmに位置する。
「ノイ=新」ブランデンブルクといっても、町はその名ほど新しくはない。
市の南西にトレンゼ湖がある。
1248年、辺境伯ヨハン・フォン・ブランデンブルクの命令で築かれ、すでにあったブランデンブルクの町と区別するためこう命名された。
ほぼ円形の平面図を持ったこの町の防壁がほぼ完全に保たれていて、格子状の道路網に貫かれ、その網目模様は現在まで残っている。中部ヨーロッパの町でも希少な町となっている。

14世紀初期に築かれた防御施設は長さ2.3kmあり、旧市街を囲み、地面から高さ7mの市城壁の上を歩くことができるが、2.3kmもある。約 1 時間の道のりだが、トレプトウ門内の地域博物館へ立ち寄るとさらに時間がかかる。地域の歴史を紹介しているから見る価値ありだ。

ノイブランデンブルクは中世には3つの市城門しかなかった。そして後になって城壁に第4の市城門を加えられた。いずれもレンガ造りの美しい門である。
市城壁の上がらは25の城壁の家や市街を円形に囲む樹齢百年のブナの並木を見晴らせる。

ノイブランデンブルクは第2次世界大戦で、旧市街の80%が破壊されたが、中世に築かれた城壁と四つある立派な城門は、奇跡的に無傷のまま被害を免れた。

高さ7mの壁には随所に市民が常駐した守衛小屋、ヴィークハウスが組み込まれていた。
この奇妙な形をした木造の建物も戦火をくぐりぬけ、修復されて残っている。
レンガでできた四つの門は、内側と外側に門戸があり、高い切妻屋根がそびえていて、ノイブランデンブルクの重要さを物語り、いかにも難攻不落の印象を与える。

ノイブランデンブルクへのアクセス

ベルリン中央駅(地下ホーム)Berlin Hbf (tief) から
ノイブランデンブルク Neubrandenburgまで、
快速列車REで約1時間50分、ほぼ1時間間隔

ノイブランデンブルクの見どころ

市の堡塁 Stadtbefestigung

町が築かれてから50年後、堅牢な堡塁が必要になり、長さ2300m、高さ7m余におよぶ市壁の建築が開始された。
壁の厚さは基部で1.4m、上部でも0.6mに及んだ。
付近に転かっている石が材料として用いられ、頂部のみ何層かにわたって煉瓦が積み上げられた。
市壁には四つの門が組み込まれ、19世紀半ばまで、市内に入るにはこれらの門のいずれかを通るしかなかった。門はいずれも夕方になると閉じられ、それ以後は料金を払った場合にのみ開けられていた。
その後ようやく、駅に通じる第5の通行口が開かれた。
門はすべて同一の型にしたがって造られている。主門は市壁の内部にあり、空濠壁を経て前門と結ばれている。
門はすべてそれ自体が一つの防備施設の役目を果たすもので、外部からの攻撃に対しては落とし格子のある前門によって守られている。
これではまだ充分でないかのように、この前門から19m離れたところにもうーつ、厚さ4mの囲壁を持つ半円形の戦閭門が築かれた。
敵の攻撃を無傷で防御するために、ヴィークハウスWiekhausと呼ばれる4~5階建ての戦闘用稜堡が、30m間隔で市壁に組み込まれた。
16世紀にはそのような小さな稜堡が53を数え、今日でも復元された26を見ることができる。
兵役能力のあるすべての市民は、ヴィークハウスの防衛と維持補修のために動員された。
一方、市門の防衛はパン屋、毛織工、靴屋、鍛冶屋の4大ギルドに課された義務であった。

シユタルガルダー門Stargarder Tor(乙女たち)
市内側のファサード上方高くに9体、新門には8体の、テラコッタ製女人像が配置されている。いずれも丈の長い硬い襞スカートをまとい、足元をのぞかせている。
これらの女人像がどのような背景で作られたのか、定かではない。
聖書の賢い処女と愚かな処女であるとする歴史家がいれば、女人像が腕を礼拝の姿勢で高く揚げていることから「礼拝者像」であると解釈する者もいる。
市門の内側に置かれていることから、外からの客を歓迎するためのものとも考えられない。このように素性は謎に包まれたまま、「乙女たち」は見る者を魅惑し続けている。

フリートレンダー(フリートランド)門 Friedlander Tor
北東門。最も古い門。おそらく1300年より少し後につくられた。
市門は高さ19mで、市外側はロマネスクからゴシックへの過渡的様式、後に造られた市内側は完全にゴシック様式である。
主門と前門の間にある長さ48mの壁には、かつての囲壁管理人、市門書記、収税吏の家が組み込まれていた。

シュタルガルダー(シュタルガルト)門 Stargarder Tor
南門。
14世紀前半につくられた。門櫓と切妻が統一体をなし、垂直方向は9体のテラコッタ像でさらに強調されている。
前門の装飾が特に豪華である。

トレプトウアー(トレプトウ)門 Treptower Tor
西門。1400年以前にできた。高さ32mで、門櫓中最も高い。
主門と前門は、煉瓦造りのトレサリー(飾り格子)で豪華に飾られている。
ゴシック最盛期の傑作であるこの門は、市外側の装飾が初めて市内側より豪華になり、外部に対する都市の顕示欲有物語っている。

ノイエス門 Neues Tor
新門の意で、東門。 1550年以降に造られた後期ゴシック建築で、新しい要素はなく、むしろ他の三つの門の装飾要素を統合したもの。前門は残つていない。

ファンケル塔 Fangelturm
北西。防衛強化のために15世紀に造られた二つの塔(櫓)のうち、現存するのは高さ19mのこの塔のみ、直径6.5m、壁の厚さは2.3mである、塔の先端は、1848年に付け加えられた。

聖母マリア教会 Marienkirche

13世紀末に造られた煉瓦造りのホール式教会。
1945年に激しく損壊したが、トレサリー(飾り格子)のある東切妻は、今なお印象的である。
この教会は、現在、コンサートホールとして使われている。

聖ヨハネス教会 Johanniskirche

13、14世紀に建てられた、旧フランシスコ会修道院付属教会。
その非対称性に驚かされるが、残っているのは側廊のみである。
植物をモチーフにした壁画は19世紀のもの。木彫が豪華なバロック祭壇(1730年)は、キリスト磔刑を表している。
特に目を引くのは、モーゼ像に支えられた石灰石製のルネサンス説教壇(1598年)で、キリストと福音史家たちを表した雪花石膏レリーフが見られる。

ノイブランデンブルク周辺の見どころ

トレンゼ湖 Tollensesee

市の南の、非常に魅力的な氷堆石の景色に包まれて、長さ10.4km、幅3km近くの湖面が広かっている。
ブロダアー・ホルツBrodaer Holz付近の西岸が険しい。

フェルトベルク湖沼地帯 Feldberger Seenlandschaft

周遊75km。ブルク・シュタルガルトBurg Stargardと、あたり一帯を見下ろしてそびえ立つ巨大な城の廃墟を経由して、五つの風車のあるヴォルデックWoldegkの町に入る。
そこから南西の方向には、起伏の多い魅力的な湖沼地帯が広がり、珍しいカワウソや、ウミワシ、ミサゴ、アシナガワシなどが棲息している。
フュルステンヴェルダーFurstenwerderとフェルトベルクFeldberg間は、森や草原、湿原や湖が交互に現れ、目を楽しませてくれる。
カルヴィッツCarwitzでは、作家のハンス・ファラダHans Fallada (「一度臭い飯を食った者は」)のかつての住居(現在は記念館)が、湖畔に牧歌的な姿を見せている。

 

ノイシュトレーリッツ Neustrelitz

南に27km。メクレンブルク・シュトレーリッツ公爵のかつての居城があり、過去の栄光を今日に伝えている。
優美な建物や記念碑が点在する19世紀初頭の英国式宮殿庭園 Schlotepark、ポンペイ様式の絵画が目を引くオランジュリー、バロック様式の市の教会Stadtkirche (1768~1778)、擬古典主義様式の市庁舎Rathaus (1841年)などが見どころである。















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