ローテンブルク Rothenburg ob der Tauber

(バイエルン州)
人口:約1.3万人

ローテンブルクフォト

ローテンブルク地図

概要

ヴュルツブルクから62km、シュトゥットガルトから134km、ミュンヘンから236kmに位置する、
「中世の宝石」とも称えられるこの街の正式名称は、ローテンブルク・オプ・デア・タウバー Rothenburg ob.der.Tauber だ。
ノイシュヴァンシュタイン城とともにロマンチック街道のハイライトとして日本人に人気の町。
ヨーロッパのビギナーコースには、必ずと言っていいほどここを経由する町となっている。
だが、限られた日程でフランスやスイスなども見て回るツアーでは、この町をゆっくり見て楽しむということは出来ない。
街を囲む城門をくぐって入ると、中世の景観をそっくり伝えていて街のどこを見ても絵になってしまう。
12世紀にホーエンシュタウフェン家の城下町が置かれて交易で発展し、独立して帝国直属の自由都市となった。
14世紀に最盛期を迎えたあと、ドイツが暗黒の中世に陥った三十年戦争(-1648年)で甚大な被害を受けた。
19世紀末になってようやくドイツの典型的な中世ロマンの街として再発見され、その後市民の文化・景観保護の努力のおかげで、今日の観光都市となった。
石畳の中世の街はゆっくりと歩いてその雰囲気を味わいたい。
博物館として保存されているのではなく、いきいきとした市民の生活が感じられる街だ。

旧市街を一巡するだけならの散策なら、3-4時間で可能だが、塔や市城壁の上にあがったり、博物館の見学や城外からの街全体の眺望を楽しみたければ、滞在して2日かけないと良さがわからないだろう。
ショッピングは、ヘレンガッセ Herrngasse やシュミーデガッセ Schmiedgasse で。有名なクリスマスショップ Kathe Wohlfahrt でおみやげ探しをするのもよい。

アクセス

ツアーなどの貸し切りバスで訪れる場合には、フランクフルト方面からも便利な位置にあるが、公共交通機関を使うとかなり時間的にロスが多い。

鉄道

フランウフルトまたはミュンヘンからローテンブルグ駅までの直通列車はない。
シュタイナッハ(Steinach)駅で乗り換える。
ローテンブルグ・シュタイナッハ(Steinach)間は単線で3両編成の列車が1時間間隔で折り返している。所要時間15分。
シュタイナッハ駅への列車はいろいろな方向から入ってくるので、時刻表をうまく見ていかないと列車のルートや乗換駅を間違えてしまう。
ヴュルツブルクから各駅停車で所要約45分。ミュンヘンからは2系統あり、2-3回乗換える必要がある。(約3時間30分)。
フランクフルトからはヴュルツ行きで乗換える。
鉄道駅から旧市街地がある丘までは、徒歩10-15分ほど。駅はまったくのローカル駅で、駅員もほとんどいない。ポーターもいない。市内までは近すぎて定期バスは運行されていない。タクシーは列車の到着に合わせて2-3台やってくる。
。 旧市街地までの緩やかな坂道は住宅地でホテルなどもある。
旧市街地の中心地(市庁舎やホテルアイゼンフット近く)までは城壁に入ってさらに5分、旧市街地へ宿泊する場合には、石畳でスーツケースを転がすにはいささかきつい。
(リュックの方がよかったと感じる)。少し待ってタクシーでホテルまで行くと快適だ。

バス

ロマンチック街道を1日かけて走る定期バスがある。(ヨーロッパバス)
フランクフルト駅(横)~ヴュルツブルグ~ローテンブルグ(駅)~アウグスブルグ(駅)~―ミュンヘン駅(横)
全行程約12時間、途中ローテンブルグで1時間半ほど停車。
鉄道駅に停車するので、停車時間中に旧市街マルクト広場まで急いで行けば5-10分見てくることはできるが、あまり意味がない。
フランクフルト駅前(駅左横)8;00発 ローテンブルグ駅前12;40着
ミュンヘン駅前9;00発 ローテンブルグ駅前14;40着

車:

近くの高速道路出口からは10-20分で旧市街を囲む城壁まで来る。
城壁に隣接して、駐車場が点在している。
非居住者の車は、平日11:00~16:00と19:00~翌5:00の間、そして週末は終日通行 止めになる。
旧市街のホテルに滞在する場合に限ってホテルまでの出入りのみ進入することができる。

見どころ

マルクト広場 Marktplatz・市庁舎 Rathaus:

街の中心地となる広場。
この広場に面した市庁舎 Rathaus は、13世紀の切妻をもつゴシック様式の建物。
高さ約60mの鐘楼は、220段の階段を上って街の眺めを楽しめる。
マルクト広場に面した正面の建物と8角形の階段塔は、16世紀のルネサンス時代の造営にかかる。
隣の、市議宴会場 Ratsstube の壁面にある仕掛け時計(マイスタートゥルンク Meistertrunk )は、三十年戦争の頃、街を救った市長ヌッシュのワインジョッキの一気飲みの場面が演じられる。
11、12、13、14、15時になったら時計の両脇の窓に注目。
市庁舎の塔には狭い階段で昇ることができる。狭いため、人数を制限している。入場券は最後の展望台の直前で支払う。

中世犯罪博物館 Mittel-alterliches Kriminalmuseum:

エルサレムの聖∃ハネ騎士団の旧騎士分団長館の建物。
中世時代から拷問や刑罰に用いられた残酷な道具などが展示してある。
日本語のパンフレットもある。

聖ヤコブ教会 Jakobskirche:

14世紀半ば、東内陣から着工されたゴシック様式の荘厳な教会
一番の見どころは、テイルマン・リーメンシュナイターTilman Riemenschnelderのキリストの血がかかったとされる、「聖血の祭壇Heilige Blut Altar」と呼ばれる祭壇画。主要祭壇中央には、「最後の晩餐」の場面が描かれ、ユダが背中を見せ、キリストと正面から向き合ってパンを受け取ろうとしている。

おもちゃ博物館 Puppen-und Spielzeug-Museum

18-20世紀初期までにつくられた、ヨーロッパ各国のおもちゃや人形が数多く展示されている。
学校や遊園地、鉄道などの模型、ドールハウス、テディベア、おもちゃの回転木馬などが展示してあり、当時の人々の暮らしが想像できる。
隣接するところに、ドイツ・クリスマス博物館Deutsches Weihnachtsmuseumがある。
さまざまなクリスマスの慣習を、時代の変遷を追って取り上げている。

市立病院 Spital:

急傾斜の屋根と小塔をもつ16-17世紀の建物で、市の南端で城壁が突き出た部分に位置する。
ゴシック様式の付属教会の芸術作品と、中庭の中央に建っているヘーゲライターホイスヒェンHegereiterhauschen(騎馬林務官詰所)が見どころ。
市立病院の中庭を通ってカルク塔Kalkturmに上ることができる。

城壁 Stadtmauer:

町のまわりをぐるりと取り囲む2.5knの城壁の上には屋根が付いていてシュテーパーライン塔Stoberleinsturmとザウ塔Sauturmを結ぶ間を歩くことができる。
13世紀から14世紀に築かれたもので、塔屋も含めて完全に保存されている。
とくに町の西側へに回ると二重橋Doppelbrukeを含むタウバー渓谷のすばらしい眺めが広がっている。
市立病院のあたりで、町の南側の入口はシュビタール門Spitaltorに守られている。
この門は16世紀に建てられ、楕円形の二つの中庭を包み込む堅固な要塞である。

プレーンライン Plonlein:

ローテンブルグの写真にたびたび使われるポイント。
枝分かれする2本の上下する街路。一方は平坦なままに続き、一方は下り坂になっているが、いずれも防備を固めた城門コーポルトツェルの門Koboldzeller Torに突きあたる。

アルト・ローテンプルク職人の家 Alt Rothenburger Handwerkertaus:

ローテンプルクに住んでいた中世の市民たちの働きぶりや社会生活を再現している。

フランシスコ会教会 Franziskanerkirche:

内陣仕切りとその周辺の円柱と内壁は、15~16世紀の美しい彫刻に飾られている。

聖ヴオルフガンク教会 Wolfgangskirche:

クリンゲン門Klingentorの北側に建つ15世紀末のゴシック様式教会.
防護壁で強化され、城門の守りを二重にする外壁に組み込まれている。

郷土博物館 Reichsstadtmuseum:

修道尼僧院として使われていた建物。
ローテンプルクの郷土芸術・文化・歴史を展示している.
マルティヌス・シュヴァルツの「ローテンプルク受難図」(1494年)がある。
庭園もある。

帝国都市博物館 Reichsstadtmuseum:

旧ドミニコ会女子修道院(1258~1544)の中にあり、中世の調理場のほか、梁の見える天井の美しい広間にはローテンプルクの十字架の道(キリスト受難図)(1494年)や、7人の選帝侯に囲まれた皇帝が描かれている市長ヌツシュNuschの大杯(1616年)などが展示されている。

ショッピング

この町ならではのオススメアイテムは、クリスマスグッズだ。
クリスマスのあらゆる飾りつけやお土産を専門に扱っている店がある。
マルクト広場の左わきにあるケーテ・ヴオールファールト・クリスマス村Kathe Wohlfahrt Weihnachtsdorf(Herrngasse 1)。
思わず「かわいい!」が口から出てしまうような、驚くほど巧みな想像力と技術で作られている。すべてドイツ東部の山奥の木彫り職人の集まる村でできたものばかりなので、中国製のようには安くはない。

ローテンブルクの歴史

紀元前500年頃;

ケルト人によってタウバー谷の向いエングルスブル久に最初の入植がなされる。

960年:

デトヴァンクがタウバー谷に基づかれ、同じ頃タウバー沿いの山に築城される。

1142年:

コンラート3世の命で第2の築城。

1274年:

ルドルフ1世が神聖ローマ帝国
直属自由都市に認可する。

以後150年15世紀初めまで:

市内の増築拡大が行なわれる。
現存する最古の市壁は12世紀のもの。
銃眼つきの市壁上通路は14世紀半ば、シュピタールバスタイは14世紀末期に建設される。
当時市は面積400km2で167の町村をかかえ、住民2万人の大都市であり、ドイツの中世紀において重要な地位にあった。

1544年:

カトリックとプロテスタントが発生し、ローテンブルクはプロテスタント側になる。

1618~1648年:

30年戦争。キリスト教2派の分裂からドイツを舞台とした宗教戦争。

1631年:

将軍ディリー率いるカトリック軍により侵略される。当市は30年戦争の戦災から完全に回復することなく、政治的・経済的に言及するにおよばない町となる。

1803年:

ナポレオンによるヨーロッパ改新により自治権を失い、バイエルン国に併合される。

1810年:

領土の半分をヴュルテンベルクに割譲され、単なる一国境都市となる。
流通の中心からはずれ近代化の波にあらわれず、経済基盤も弱かったため、歴史的建築物が保存された。

1945年:

空襲で町の40%を焼失する。 1900年来の町並保存の条例と、町のアイデンティティーを守ろうという市民の意志から、町再建の努力がなされ、破損部分は現在までにほぼ復元される。















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