アウシュヴィッツ Auschwitz(オシフィエンチム Oswiecim)

強制収容所跡

アウシュヴィッツフォト

アウシュビッツ強制収容所跡 Auschwitz概要

ドイツ名は「アウシュビッツ」。クラクフの西、約54kmにある町オシフィエンチム市郊外には、アウシュビッツ強制収容所跡およびビルケナウ第二強制収容所跡がある。第二次大戦中、ナチス・ドイツ占領下の時代にユダヤ人やポーランド人、共産主義者など百数十万人がここに送られ過酷な労働を強いられた末、大量虐殺を受けた。その歴史を繰り返さないよう後世に警告を残すため人類の負の遺産として保存され、一部は博物館として公開されている。なお、ドイツの工科大学の学生から修復作業の技術提供ボランティアが行なわれている。

アウシュヴィッツ強制収容所は3カ所に大別されている。
第一強制収容所 オシフィエンチム Oswiecim(基幹収容所)
第二強制収容所 ビルケナウ Birkenau
第三強制収容所 モノヴィッツ Monowice

アウシュビッツ第一強制収容所跡(オシフィエンチム Oswiecim)

第二次大戦中の悲劇を物語る収容所施設が一般に公開されている。「働けば自由になる」と書かれたゲートをくぐると、一時は2万8千人もの人々が収容されていた囚人棟が28棟ならぶ。「飢餓室」や「立ち牢」、鞭打ち台や絞首台なども当時のままに残されている。
10号棟と11号棟の間には「死の壁」とよばれる銃殺が行なわれた壁がある。また、ナチスに没収された生活用品や殺された子供たちの衣服の山、遺体から取り外された義足やメガネ、入所時に撮影される証明写真、人間の髪の毛で織られたカーペットなども残されている。中央に並ぶ棟には、戦後になってアウシュビッツをテーマに制作された作品が犠牲者の出身国別に展示されている。入口にはインフォメーションセンターがあり、資料や各国語のガイドブックが用意されているほか、レストランやカフェも設けられている。入口近くの博物館ではアウシュビッツの記録映画が上映されている。
ポーランド軍兵営の建物をドイツ国防軍が接収したしたもの。その後、第二収容所、第三収容所を含むアウシュヴィッツ強制収容所全体を管理する機関が置かれていた場所でもある。

アウシュビッツ第二強制収容所跡(ビルケナウ Birkenau)

アウシュビッツ第二強制収容所からオシフィエンチム駅を挟んで約2kmにある強制収容所。アウシュビッツよりさらに大規模で、1.75平方kmという広大な敷地内には300棟以上の木造バラックが並んでいた。バラック内部の見学も可能で、狭いベッドやトイレなどからもここでの生活の様子をうかがい知ることができる。鉄道の引込み線が終わった場所には数々の慰霊碑が並び、各国の言語で追悼の碑文が刻まれている。
夏季のみアウシュビッツ第一収容所ー第二収容所(ビルケナウ)間にバスが運行される。

アウシュビッツ第三強制収容所モノヴィッツ Monowice

第2収容所がいっぱいになったため、1942年から1944年の間に、モノビツェ村にあった、当時のドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市周辺の、ドイツを代表する大企業の 化学や重工業の製造プラント工場や、近隣の炭鉱周辺に大小合わせて40ほどの収容施設がつくられた。これらの施設群をドイツ語で「第三収容所モノヴィッツ」と呼ぶ。

一般の観光ツアーでは、第1と第2強制収容所を訪れている。最も規模の大きいのは第2収容所である。

















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