シフィドニツァ Swidnica

概要

ポーランドの南西部、ロアー・シレジア地方のブロツワフ市近郊に位置する。
隣接してそれぞれヤヴォル公国、シフィドニツァ公国が存在した中世の町。

ヤヴォル-シフィドニツァの平和教会

16世紀に始まった宗教改革により、ヨーロッパ中がカトリックとプロテスタントに分かれて争っていた30年戦争。
その結果、宗教はその土地の領主が決めることになった シレジア地方の町ヤヴォルはカトリックを信奉するハプスブルク家の領土となっていたが、プロテスタントの住民にとって自分たちの聖堂を持つことは悲願だった。
皇帝はプロテスタントに一見寛大な態度をとり、教会の建設を許した。しかし、建設期間は1年、しかも金属、石、レンガを使うことが一切禁じられた。それはまさに寛大を装って弾圧だった。
そんな中、建設に立ち上がったのが、ポーランドの建築家ザビッシュである。
木と藁と土だけを使うという厳しい条件のもと、ザビッシュは、木の構造体に藁を練りこんだ粘土で強度を高い土壁を考案するなどの工夫で巨大な木造を完成させた。
木と藁と粘土でわずか1年で教会を作り上げた。それが世界遺産になっている2つの平和教会である。
ザビッシュはヤヴォルの教会を完成させて引き続きシヴィドニツァの建設にかかった。
皇帝が許したのも、木ならたとえ出来たとしても長持ちしないだろうと考えていたからだが、完成後現在まで450年間信者が大切に維持管理、修復し続けてきたからである。
両教会とも内部は、まるでショッピングモールかロビー空間の大きホテルのようなバルコニー形式を採用し、両サイドの身廊部分が4層になってが多くの信者が一同に会せるようようにした。これも建築家ザビッシュのアイディアである。
ヤヴォルの教会は、6000人、シフィドニツァ教会は7500人収容できる。
ヤヴォルの教会は比較的シンプルにデザインされているのに対して、シフィドニツァ教会はいろいろな装飾が施され、一見大理石のように見える祭壇もすべて木でできている。
同様の木造教会はグウォグフにもあったが、1758年に焼失してしまった。

















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