プトリント Butrint

概要

サランダから海岸沿いに南へ約18km.コルフ海峡に面し、美しい礁湖に囲まれている。
紀元前6.7世紀の古代ギリシアの植民都市。
紀元前5世紀に建設された小さな港湾城塞都市だった
紀元前4世紀頃にはギリシャの医学の神アスクレピウスにちなみ神聖な場所とされ、多くの巡礼者がやってきていた。
紀元前44年ローマ時代、カエサルはこの街をローマの植民都市とする。カエサルの養子アウグストゥスは、紀元前31年アクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラに勝利したのち、この地はさらに発展する。別邸が多数作られ、円形劇場や公衆浴場などもこの時代に作られてきた。
ブトリントではキリスト教が5世紀までに繁盛を迎え、独自の司教を持っていた。

だが、時代が進むと徐々に廃墟と化し、15世紀にオスマン帝国領となった。
その後の、ベネチア共和国の支配下にあった時代の建造物が現在も見られる。

現存する遺跡は古代ギリシア、ローマ帝国、ビザンチン帝国などの時代の遺跡で、イオニア式オーダーの神殿、円形劇場、公共浴場などがブトリント湖畔に残されている。
1992年に世界遺産に登録されたが、国内で内戦が勃発し、出土品の略奪を止められなかったため、1997年には危機遺産リストに登録されることになった。1999年に略奪の防止などが講じられ、登録範囲を拡大して、2005年には危機遺産リストから削除された。

ブトリント湖の半島86km2に広がる国立公園に指定され、保護されている。

アクセス

サランダからミニバスで約1時間、約60Lek、タクシーでは2000Lekほど

見どころ

ギリシア、ローマ円形劇場 Amphitheater
丘の勾配を利用した石の階段席2500人収容、の通路の最下列にはライオンの足が模られ、邪悪を振り払う手のひらサイズの目の模様などが飾られた円柱が残る。
4世紀の地震で大部分が破壊されたが、現在でもコンサートや劇に使用されている。

ローマ浴場跡 Roman Bath
2世紀のもの。大部屋にはモザイクが床を飾る。全てのモザイクは保護のため小石で覆われているが、年に一度一般公開されている。

アクロポリス Acropolis
前8世紀終頃、丘の頂に建設された神殿跡
モザイクや近年発掘された出土品は博物館に展示されている。

ローマ水道橋跡

ニンフの泉 Nymphss'Fountain
2世紀のもの。ローマ時代の水道橋(1世紀)を通った水はアクロポリスから4Kmほど通ってここにたどり着く、

アゴラ/フォルム(公共広場)
市民と商業の心臓部。

ライオン門

イリリアの壁と門 Wall and Gate of Illyria
現存する最古の壁は前4世紀のもので、バジリカの側に一部のみが残る。
6つの門は町の方へ、ほかの2つは丘の反対側の湖畔の古代の港へと通じていた。

トリコンチ宮殿 Triconch Palace
ローマ時代400年頃のの邸宅跡

ビザンティン洗礼堂跡 Baptistery
6世紀建設。当時コンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)のアヤ・ソフィアに次ぐ、東ローマ帝国で2番目の大きさを誇っていた。
床を飾ったモザイクは、水と魂の救済が題材。中央の泉、洗礼盤に使用の水は床下暖房機能で温められていた、現在も噴水の正面に一部構造を見ることができる。パイプの一方は、モザイクの床下を通り洗礼盤へ通じる。

大バジリカ Basilica
初期キリスト教のバシリカは6世紀初頭に建設。

ビザンティン礼拝堂跡 Byzantines'Chapel
聖人のフレスコ壁画の断片が壁に残る。木製雨よけで保護されている。

ヴェネチア時代の城
1930年代に再建、14-16世紀の城。

ヴェネチア時代の塔
15-16世紀に再建。
















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