アルバニアの歴史


アルバニアの歴史

紀元前1000年頃  イリュリア人居住が始まる
またいくつかのギリシャ植民地が建設された
前2世紀  ローマ帝国の支配下となる
1世紀ころ  キリスト教の布教が進められる。
4世紀末 ローマ帝国が東西に分裂した後、東ローマ・ビザンツ帝国下におかれる。
5世紀以降 ビザンツ帝国下のアルバニアは、西ゴート族、フン族、東ゴート族、アヴァール人及びスラヴ人などのあらゆる部族の襲撃にあい、やがて帝国の力は弱まっていく
14世紀以降 東ローマ帝国の衰退とともに、イリュリア人の子孫のアルバニア人の諸侯に支配される。
800年代中期  ビザンツ帝国をブルガリアが帝国を引き継ぎ、アルバニア東部は重要な文化の中心地となる。
13世紀後期  ブルガリア帝国は衰退し、アルバニアはセルビアへ統合される
1385年  サヴラの戦でオスマン帝国の支配となり、500年間続く
1910年 アルバニア民族運動の激化が進み、アルバニア人蜂起が起きる
1912年 アルバニア独立宣言、オスマントルコから独立
1914年  ドイツ貴族のヴィート公子ヴィルヘルム・ツー・ヴィートを公に迎え、アルバニア公国となる
1914年6月  オーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が銃撃されるというサラエボ事件を契機に第一次世界大戦始まる。
第一次世界大戦でヴィート公は国外に逃亡したまま帰国しなかったため、無政府状態に陥る。
1918年  第一次世界大戦終了。
君主不在のまま摂政を置く形で政府は再建されたがその後も政情は不安定状態が続く。
アルバニアはイタリア、セルビア、ギリシアに分割される、
1920年  イタリア軍が国を去り、アメリカが独立のために介入、国際連盟の加入国として受け入れられる。
1924年  アフメット・ゾクーが大統領に就任。独裁権力で、イタリアと同盟を結び、ベニート・ムッソリーニとの関係を築く。
1928年  政府はゾクーを国王とし、アルバニア王国を宣言。
1939年 、イタリア軍がアルバニアに侵攻、ゾクーは亡命、イタリアの保護領になり、後に併合
これに対して共産主義勢力、旧国王派、民族戦線などが抵抗運動を展開する。
1944年  第2次世界大戦終結、
共産主義者がアルバニアで力をつけ、非共産圏の国々から鎖国する。1990年代初頭まで続く
1941年 エンヴェル・ホッジャを書記長としてアルバニア共産党が成立すると、反ファシズム勢力をまとめた民族解放戦線を組織し、ユーゴのパルチザンと結んだ抵抗運動が進められた。
1943年   イタリアが連合国に降伏すると、アルバニアの領土はドイツ軍によって占領される。引き続き抵抗運動を継続していた、
1944年11月  ついに首都ティラナの解放に成功。
1944年11月29日 パルチザンとソ連軍による全土解放が行われ、アルバニア共産党を中心とした社会主義臨時政府が設立される。
1946年  王政廃止とアルバニア人民共和国設立を宣言、エンヴェル・ホッジャを首班とする共産主義政権が成立した。
1948年 ユーゴスラビア連邦人民共和国との関係が悪化し、ユーゴスラビアと断交、親ソ連へと大きく傾斜する。
1953年 スターリン死去を契機として、ソ連との距離を置くようになる。
中国と接近していく。
1961年 ソ連と断交
1968年  ワルシャワ条約機構を脱退、ソ連を仮想敵国とした軍事政策を取る。
1976年  中国で文化大革命が収束し、改革開放路線に転換すると中国を批判。中国の経済・軍事援助停止
アルバニアの経済状況はヨーロッパ最貧国といわれていた。
1985年 ホッジャ勤労党第1書記死去
1989年  全国的に反政府デモが続発し、ホッジャの後継指名を受けたラミズ・アリアが徐々に開放路線に転化を開始。
1990年 野党設立許可、複数政党制導入、外貨導入解禁
1991年 初の自由選挙、臨時憲法制定、米、英と国交回復、ECと外交関係、IMF、世銀、CSCE加盟
1992年 総選挙で初の非共産政権樹立、OICに加盟
1994年 PFP包括協定、PFP個別協定調印
1995年 欧州評議会に加盟
1997年 ねずみ講問題を発端とする騒乱が発生。6月の総選挙の結果、社会党を中心とする連立政権成立
1998年 新憲法制定
2000年 WTO加盟
2003年 EUとの間で安定化・連合協定(SAA)交渉を開始
2006年 EUとの間で安定化・連合協定(SAA)に署名
2009年 NATO加盟、EU加盟申請
2014年 EU加盟候補国の地位を獲得



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