マケドニアの歴史

マケドニア共和国の歴史

BC336-333年  アレクサンドロス大王は東方遠征で、ペルシア帝国を滅ぼして、ギリシア世界からオリエントにまたがる空前の大帝国を建設。
BC323 アレクサンドロス大王の死後は、大帝国は後継者(ディアドコイ)たちが争って分裂。
BC215年-205年 マケドニア・ローマとマケドニア戦争
以後、3度の戦争でマケドニアはローマに征服され、その属州となる。
6世紀頃 スラブ人がマケドニアを含むバルカン半島へ定着
1014年  ベラシツァ山の戦い。
マケドニア王サムエルの軍勢、ビザンチン軍に敗北。
1018年  マケドニア帝国はビザンチン帝国の支配下に入った。
1371年 マリツァの戦い。トルコ人勢力のバルカンへの侵入始まる。
1389年 セルビア王国がオスマントルコに敗北、以降バルカン全体がトルコの支配に入っていく
1395年 マケドニア、オスマントルコの支配下にはいる
1877年 露土戦争でオスマン帝国が敗れ、ロシア帝国が勝利、
1878年 ロシアはサン・ステファノ講和条約でトルコに対しブルガリアの独立を認めさせる。
マケドニアは一旦トルコ側から大ブルガリア公国に併合される。しかし、もののロシア勢力の拡大を警戒した西欧諸国が反発し、ドイツ帝国のビスマルクのベルリン会議での調停の結果、ベルリン条約で大ブルガリア公国の領域は縮小され、マケドニアは再度オスマントルコ帝国に譲渡される。
1912年から1913年 バルカン戦争。ブカレスト講和条約によるマケドニアの分割。
ヴァルダル川流域のマケドニアはセルビアへ、
エーゲ海沿岸地域はギリシャへ、
ピリン山系はブルガリアへ。
1914年-1918年 第一次世界大戦
1919年 ベルサイユ条約。マケドニアの分割。現マケドニア共和国地域はセルビア地域としてセルビア人、クロアチア人、スロベニア人連合王国建国
1939年-1945年 第二次世界大戦
第二次大戦中はナチスドイツと戦う位置にいた。
1945年 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の構成共和国の一つとして発足
チトー大統領の主導の下、独自の社会主義と非同盟主義を掲げていたが、70年代から経済が停滞、80年代には民主化の動きが出てきた。
1963年 スコピエで地震発生
1980年  チトー大統領死去、民族間の対立が始まり、ユーゴの構成各国が独立機運を急速に高めていった
1989年  ソ連の実質上の支配下にあった東欧諸国に革命の急激な動きが起こり、社会主義体制は一気に分解する。
1991年9月8日 ユーゴスラビアからの独立に関する全国投票で74%が独立を支持。
1991年1月 ユーゴスラビアより公式に独立を宣言
独立する際、「マケドニア」を国号としたことにたいして、南に接するギリシアはそれに反発し、両国の関係が悪化する。
1993年 国連加盟
マケドニア側が譲歩して「マケドニア旧ユーゴスラビア共和国 Former Yugoslav Republic Of Macedonia」の暫定名称を用いることでギリシャの譲歩を引き出し、国際的な承認を得る。
2001年2月 アルバニア系過激派勢力による武装蜂起、政府軍との銃撃戦。(旧ユーゴ最後の民族紛争)
2001年7月 NATO仲介の下、停戦。枠組み合意(オフリド合意)が成立(同年8月)。
2003年3月 EU軍事ミッションがNATOから駐留ミッション引き継ぎ。
2005年12月 EU加盟候補国となる。ギリシャが反発している。
NATO加盟もギリシャの拒絶にあっている。
2006年6月 EU駐留ミッション活動終了。

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