ジョージアの歴史


歴史年表

前6世紀 西ジョージアにコルキス王国成立
前4~3世紀 東ジョージアにイベリア(カルトリ)王国成立
4世紀 イベリア(カルトリ)王国がキリスト教を国教化。
ジョージア文字の考案
562年 西ジョージア、ビザンツ帝国により併合
6世紀 東ジョージア、ササン朝ペルシアにより征服
7世紀後半 東ジョージア、アラブ・イスラム帝国の支配下となる。
975年 バグラト朝成立。タマラ女王(在位1184年~1213年)のもとバグラト朝最盛期、南コーカサス全域を領有
13世紀以降 数次にわたるタタール、ティムールによる侵攻をうけ、国土が疲弊する。
16世紀以降 西部がオスマン帝国、東部はサファヴィー朝ペルシアの支配下となる
1783年 ロシア帝国、ギオルギエフスク条約により東ジョージアのカルトリ・カヘティア王国をロシア帝国の保護領となる
1801年 東ジョージア、ロシアに併合
19世紀前半 西ジョージアの諸地方、漸次ロシアに併合
1844年 ロシア帝国、チフリスにカフカース総督府設置
1873年 露土戦争の結果、ロシアに併合
1878年 アジャリア併合によりジョージア制圧完了
1918年5月 ジョージア・メンシェヴィキによりジョージア共和国独立宣言
1921年2月 赤軍チフリス入城、ジョージア・ソビエト社会主義共和国成立
1922年 アルメニア、アゼルバイジャンと共にザカフカス社会主義連邦ソビエト共和国を形成、ソ連邦結成に加盟。
1936年 スターリン憲法により、独立した連邦構成共和国となる
1956年 トビリシ事件(民衆集会・運動が軍により流血の弾圧)
1989年4月 トビリシ事件(独立回復要求集会へのソ連軍の弾圧)
1989年8月 南オセチア紛争はじまる
1990年8月 アブハジア紛争はじまる
1991年4月9日 独立宣言
1991年5月 ガムサフルディア、初代大統領に当選
1992年1月6日 反ガムサフルディア派、大統領官邸占拠。ガムサフルディア大統領、ジョージアから脱出、失脚
1992年2月 国家評議会創設。
シェワルナゼ元ソ連外相が帰国し、国家評議会議長に就任
1992年10月 シェワルナゼが最高会議議長に就任
1995年11月 シェワルナゼ大統領就任(2000年再選)
2002年8月 チェチェン共和国武装勢力に加わっていた日本人義勇兵(元自衛隊員)がジョージア領内で拘束されたとの報道
2003年11月23日 野党勢力が議会を占拠、シェワルナゼ大統領が辞任(バラ革命)、ニノ・ブルジャナゼ暫定政権発足
2004年1月 大統領選挙を実施、サーカシヴィリ大統領就任
2006年7月25日 ジョージア軍が、独立を主張しているアブハジアに軍事攻撃を仕掛ける。アブハジア側とジョージア側にまたがるコドリ渓谷での26日までの戦闘で、現地を支配していたアブハジア系民兵を追い出した。
ジョージア側は、この戦闘で攻撃ヘリ数機、兵員輸送トラック34台、戦闘用車両18台を投入した。
この戦闘で民間人一人が死亡、数人が負傷、民兵25人が捕虜となった。
2006年9月27日 ジョージア治安当局が、スパイ行為を行ったとしてロシア軍将校ら十数人を拘束。
ロシア外務省は28日、抗議のため駐ジョージア大使を召還。
2006年10月13日 国連安保理、アブハジアに対する「ジョージア政府の挑発的行動」を非難する決議を採択。
2007年11月 反政府デモ隊と治安当局の衝突により多数の負傷者が出たことを受け、非常事態令が発出。
2008年1月に大統領選挙を繰り上げることで事態は収拾
2007年8月8日 事実上の独立状態にあった南オセチアに侵攻。
平和維持軍として駐留していたロシア軍に攻撃を加え、ロシアと戦闘状態に入る(南オセチア紛争 (2008年)も参照)。
2008年1月 大統領選挙が行われ、サーカシヴィリ大統領が再選
2008年8月 ジョージア軍と南オセチア軍の軍事衝突に、ロシアが介入。
ロシアは南オセチア及びアブハジアの独立を一方的に承認
2008年8月10日 南オセチアから軍が退却。
2008年8月12日 CISより脱退を発表。
2008年8月29日 ロシアと断交。
2012年10月 議会選挙にて野党「ジョージアの夢」が勝利。
イヴァニシヴィリ首相率いる新政府が発足
2013年10月 大統領選挙が行われ、与党連合「ジョージアの夢」が立てたマルグヴェラシヴィリ候補が当選
2013年11月 マルグヴェラシヴィリ大統領就任。
ガリバシヴィリ内務大臣が首相に就任

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